・・・あなたが次第に名高くおなりになるのを、わたくしは蔭ながら胸に動悸をさせて、正直に心から嬉しく存じて傍看いたしていました。それにひっきりなしに評判の作をお出しになるものですから、わたくしが断えずあなたの事を思わせられるのも、余儀ないわけでござ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・これを聞くと自分の胸は非常な動悸を打ち始めて容易に静まらぬ。周囲は忽ちコレラの話となってしもうた。ただこの後の処分がどうであろうという心配が皆を悩まして居る内に一週間停船の命令は下った。再び鼎の沸くが如くに騒ぎ出した。終に記者と士官とが相談・・・ 正岡子規 「病」
・・・それからまるで風のよう、あらしのように汗と動悸で燃えながら、さっきの草場にとって返した。僕も全く疲れていた。 ネリはちらちらこっちの方を見てばかりいた。 けれどもペムペルは、『さあ、いいよ。入ろう。』とネリに云った。 ネ・・・ 宮沢賢治 「黄いろのトマト」
・・・わたしたちの心にあるこの抗議と抵抗の動機は、人間らしい、美しい、瑞々しい人生をもちたいという痛切な願いからです。わたしたちみんなの心にこの訴えがあります。わたしたちは、ただ一度しかない人生をいとおしみます。このやわらかい心。やわらかい心が苦・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・封建的な人間抑圧への反抗ということも、理由とされているが、それは、その第一歩、第一作の書かれた動機のかげにあった一つのぼんやりしたバネであったにすぎない。二作、三作、ましてそれで儲かって書きつづけてゆく作品のモティーヴになってはいない。・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・緑の怒濤のように前後左右で吼え沸き立つのはよいとして、異様な動悸を打たせるのは、竹は嫋やかだからその擾乱の様がいやに動的ぽいことだ。濡れて繁茂した竹が房々した大きい手、ふり乱した髪、その奥には眼さえ光らせて猛るようだ。大竹藪の真ん中で嵐に会・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・ 手足がむくんだり、時に動悸が非常にせわしい事などがあったけれ共、お節は元より栄蔵自身でさえ心臓が悪くなって居ると云う事は知らなかった。 今はもう只一人の相談相手の達に一寸でも来てもらうより仕様がないと思って、お節は人にたのんで今度・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 眼の裏が熱い様で居て涙もこぼれず動悸ばっかりがいつも何かに動かされた時と同じに速くハッキリと打って声はすっかりかすれた様になって仕舞った。 指の先まで鼓動が伝わって来る様で旅費のお札をくる時意くじなくブルブルとした。 今頃私が・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・であると云う丈の理由で、さも博大な知識を獲得しつつあるような満足と動悸とを以て読み、筆写さえした通りに。 この本の印刷された年代で見ると、祖父は三十前後の壮年で、末弟が十七八であったらしい。恐らく末弟――私からは伯父に当る少年が、当時住・・・ 宮本百合子 「蠹魚」
・・・舅の死で目を覚し、万事新にやりなおして世間に出ようと努力したが、同期の友人達には、追いすがる余地もない程時代にとりのこされて仕舞いました。 不平は、彼を感情的ななかなか威張る父親にしました。さびれた、融和しない教区中に友人もなく、家族に・・・ 宮本百合子 「「母の膝の上に」(紹介並短評)」
出典:青空文庫