・・・心にもない道化でも言っていなけれや、生きて行けないんだ。」大人びた、誠実のこもった声であった。私は思わず振り向いて、少年の顔を見直した。「それは、誰の事を言っているんだ。」 少年は、不機嫌に顔をしかめて、「僕の事じゃないか。僕は・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・少しも自惚れてはいないのだけれども、一座を華やかにする為に、犠牲心を発揮して、道化役を演じてくれたのかも知れない。東北人のユウモアは、とかく、トンチンカンである。 そのように、快活で愛嬌のよい戸石君に比べると、三田君は地味であった。その・・・ 太宰治 「散華」
・・・青黒き皮膚、痩狗そのままに、くちばし突出、身の丈ひょろひょろと六尺にちかき、かたち老いたる童子、実は、れいの高い高いの立葵の精は、この満場の拍手、叫喚の怒濤を、目に見、耳に聞き、この奇現象、すべて彼が道化役者そのままの、おかしの風貌ゆえとも・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ちょっと聞くと野蛮なリズムのように感ぜられる和尚のめった打ちに打ち鳴らす太鼓の音も、耳傾けてしばらく聞いていると、そのリズムの中にどうしようもない憤怒と焦慮とそれを茶化そうというやけくそなお道化とを聞きとることができたのである。紋服を着て珠・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ラプンツェルは本気に残念がって、そう言ったのでしたが、王子はそれをラプンツェルのお道化と解して、大いに笑い興じ、「そうかね。そうであったかね。それはお気の毒だったねえ。」と言って、また大声を挙げて笑うのでした。 なんという花か、たい・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・に「道化の華」が発表されました。それが佐藤春夫先生の推奨にあずかり、その後、文学雑誌に次々と作品を発表することができました。 それで自分も文壇生活というか、小説を書いて或いは生活が出来るのではないかしらとかすかな希望をもつようになりまし・・・ 太宰治 「わが半生を語る」
・・・そのほかに活動映画の先祖とも言われるべき道化人形の踊る絵があった。目をあいたり閉じたり、舌を出したり引っ込ませたりするような簡単な動作を単調に繰り返すだけである。また美しい五彩の花形模様のぐるぐる回りながら変化するものもあった。こんな幼稚な・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・高等学校時代厳父の死に会い、当時家計豊かでなかったため亡父の故旧の配慮によって岩崎男爵家の私塾に寄食し、大学卒業当時まで引きつづき同家子弟の研学の相手をした。卒業後長崎三菱造船所に入って実地の修業をした後、三十四年に帰京して大学院に入り、同・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・素面ではさすがにぐあいが悪いと見えてみんな道化た仮面をかぶって行くことになっていたので、その時期が来ると市中の荒物屋やおもちゃ屋にはおかめ、ひょっとこ、桃太郎、さる、きつねといったようないろいろの仮面を売っていた。泥色をした浅草紙を型にたた・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・をするのであるが、言葉に窮して考えている間に火が消えるとその人は何かしら罰として道化た隠し芸を提供実演しなければならないのである。 その外に「カアチ/\」という遊びがあった。詳しいことは忘れたが、何でも庄屋になる人と猟師(加八になる人の・・・ 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
出典:青空文庫