・・・その名前を、そっと胸のうちで誦してみて、笠井さんは、どぎまぎした。何も、浮んで来ないのだ。忘れている。いつか、いつだったか、その名を、仲間と共に一晩言って、なんだか議論をしたような、それは遠い昔のことだったように思われるけれども、たしかに、・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・ そんなことさえ、ぷつんとおっしゃることがあって、私は、どぎまぎして困ってしまうこともあるのです。私どもの結婚いたしましたのは、ついことしの三月でございます。結婚、という言葉さえ、私には、ずいぶんキザで、浮わついて、とても平気で口に言い・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・性慾に就いての、あのどぎまぎした、いやらしくめんどうな、思いやりだか自惚れだか、気を引いてみるとか、ひとり角力とか、何が何やら十年一日どころか千年一日の如き陳腐な男女闘争をせずともよかった。私の見たところでは、そのひとは、やはり別れた夫を愛・・・ 太宰治 「メリイクリスマス」
・・・私は瞬時、どぎまぎした。「はあ。」とだけ答えて、それから、くすくす笑い、奥に引っ込んでしまった。「おや、まあ。」と言ってお母さんが、入れちがいに出て来た。「あれは旅行に出かけましたよ。ひどく不機嫌でしてな。やっぱり景色をかいているほ・・・ 太宰治 「リイズ」
・・・ 律子にそう言われて、三浦君は、どぎまぎした。なるほど、妹も一緒に連れて来たほうが自然の形なのかも知れぬ。なんだか、みんな見抜かれてしまったような気がして、頬がほてった。「急に思いついて、やって来たのですよ。こんど田舎の中学校につと・・・ 太宰治 「律子と貞子」
・・・ 清作はすっかりどぎまぎしましたが、ちょうど夕がたでおなかが空いて、雲が団子のように見えていましたからあわてて、「えっ、今晩は。よいお晩でございます。えっ。お空はこれから銀のきな粉でまぶされます。ごめんなさい。」と言いました。・・・ 宮沢賢治 「かしわばやしの夜」
・・・ジョバンニはもうどぎまぎしてまっ赤になってしまいました。先生がまた云いました。「大きな望遠鏡で銀河をよっく調べると銀河は大体何でしょう。」 やっぱり星だとジョバンニは思いましたがこんどもすぐに答えることができませんでした。 先生・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ 赤シャツはすっかりどぎまぎしてしまいました。そしてきまりの悪いのを軽く足ぶみなどをしてごまかしながらみんなの仕度のできるのを待っていました。二 午前十二時 る、る、る、る、る、る、る、る、る、る、る。 脱穀器は小屋・・・ 宮沢賢治 「耕耘部の時計」
・・・ わたくしは何といっていいかわからなくてどぎまぎしてしまいました。するとロザーロがだまってしずかにおじぎをして私の前を通り抜けて外へ出て行きました。気がついて見るとロザーロのあとからさっきの警部か巡査からしい人が扉から顔を出して出て行く・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・祖母はおつとめにじいっとしてきいて居るらしく時々妙な質問を出して先生をどぎまぎさせて居た。私がだまって居るので、いろいろの事に話が渡って、しまいには、女に女学校以上の学問を養わせる事や、専門的な智能を養わせる必要はない。学問などをするから男・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫