・・・ロシア映画で教養も何もない農夫が最も光ったスターとして現われ、アメリカ映画でも土人のほうが白人の映画俳優の下っぱなどより比較にならぬほどいい芝居をして見せるのも同様な現象である。自然を背景とした芝居では人間もやはり自然な芝居をしなければつり・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・同じように、トナカイの群れを養う土人の家族が映写されても、それがカラフトのおおよそどのへんに住むなんという種族の土人だかまるきりわからないから、せっかくの印象を頭の中のどの戸棚にしまってよいか全く戸まどいをさせられる。 材木の切り出し作・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・と話していると、隣室から土人娘の子守歌が聞こえる。それに探偵が聞き耳を立てるところに一編の山がある。こういう例はあげれば際限なくあげられるかもしれないが、しかし概して自動車の音、ピストルの響きの紋切り形があまりにうるさく幅をきかせ過ぎて物足・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・云うまでもなく、朝顔を見たことのないエスキモー土人に朝顔を説明するに百万言を費やすよりも写真か映画で一分間を費やした方が早分りである。一と口に云えば映画は観客の眼の代理者でありまたその案内者なのである。観客が到底行かれぬ場所へ観客の眼を連れ・・・ 寺田寅彦 「教育映画について」
・・・という映画で、南洋土人の結婚式に、犠牲の鶏を殺してその血をちょっぴり鉢にたらし、そうして、その血を新夫婦が額に塗りまた胸に塗る場面があった。今度インド婦人の額の紅斑を見たときになんとなくそれを思い出して、何か両者の間に因縁があるのではないか・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・壇に向かった回廊の二階に大きな張りぬきの異形な人形があって、土人の子供がそれをかぶって踊って見せた。堂のすみにしゃがんでいる年とった土人に、「ここに祭ってあるゴッドの名はなんというか」と聞いたら上目に自分の顔をにらむようにしてただ一言「スプ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・それが昔からの土人の都ではなくてアメリカ・スペイン人の都であったとは写真で見た町のプランから明瞭だそうである。しかしどうしてこの都市がすっかり荒れ果てた死骸になってしまったかはだれにもわからない。地震か、ペストか、それともソドム、ゴモラのよ・・・ 寺田寅彦 「ロプ・ノールその他」
・・・ 在昔、欧羅巴の白人が亜米利加に侵入してその土人を逐い、英人が印度地方大洋諸島に往来して暴行をたくましゅうしたるもその一例なり。今日西洋において仏国盛なり英国富むというといえども、その富のよってきたるところは何処にあるや。竜動に巍々たる・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・亜非利加の土人に智識少なし、ゆえに未だ文明の域に至らず。欧米人に智識多し、ゆえにその人民は文明の民なり。 されば今日の文明は道徳の文明にあらずして智恵の文明なること、また争うべからざるなり。また小児の概して正直にして、無智の人民に道徳堅・・・ 福沢諭吉 「文明教育論」
・・・登場する人物は少数のイタリー指揮官と、銃を与えられて、整列すること、敬礼すること、同じ黒い皮膚を持った沙丘の彼方の土民を射撃することを正当化されているリビヤ土人の一隊である。人間再出発の重大なモメントである土民との接触の面は、この映画で軍事・・・ 宮本百合子 「イタリー芸術に在る一つの問題」
出典:青空文庫