・・・ 父は体を拭いてしまうと、濡れ手拭を肩にかけながら、「どっこいしょ」と太い腰を起した。保吉はそれでも頓着せずに帆前船の三角帆を直していた。が、硝子障子のあいた音にもう一度ふと目を挙げると、父はちょうど湯気の中に裸の背中を見せたまま、風呂・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・O君はそこを通る時に「どっこいしょ」と云うように腰をかがめ、砂の上の何かを拾い上げた。それは瀝青らしい黒枠の中に横文字を並べた木札だった。「何だい、それは? Sr. H. Tsuji……Unua……Aprilo……Jaro……1906…・・・ 芥川竜之介 「蜃気楼」
・・・「どっこいしょ、どっこいしょ」 お早うを言いにあがって来た信子は「まあ、温かね」と言いながら、蒲団を手摺りにかけた。と、それはすぐ日向の匂いをたてはじめるのであった。「ホーホケキョ」「あ、鶯かしら」 雀が二羽檜葉を揺・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・「どっこいしょ!」 蒲団をかづいできた雑役が、それをのしんと入口に投げ出した。汗をふきながら、「こんな厚い、重たい蒲団って始めてだ。親ッてこんな不孝ものにも、矢張りこんなに厚い蒲団を送って寄こすものかなア。」 俺はだまってい・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・「どっこいしょ。」 私がそれをやるのに不思議はないが、まだ若いさかりのお徳がそれをやった。お徳も私の家に長く奉公しているうちに、そんなことが自然と口に出るほど、いつのまにか私の癖に染まったと見える。 このお徳は茶の間と台所の間を・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・「ううむ、どっこいしょ。」なかなか重い様子でした。お母さんは七十近いけれど、目方は十五、六貫もそれ以上もあるような随分肥ったお方です。「大丈夫だ、大丈夫。」と言いながら、そろそろ梯子を上り始めて、私はその親子の姿を見て、ああ、あれだ・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・「へん、本当に怒っていやがる。どっこいしょ。」と小声で言って少年は起き上り、「上衣なんて、ありやしない。」「嘘をつけ。貧を衒う。安価なヒロイズムだ。さっさと靴をはいて、僕と一緒に来たまえ。」「靴なんて、ありやしない。売っちゃった・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ハア どっこいしょ!ハア そら、あぶない! たかってそれを見ている労働婦人たちは腹をかかえて笑いこけている。 アガーシャ小母さんは、実際三月八日今日の婦人デーが嬉しくてたまらないのだ。今年アガーシャ小母さ・・・ 宮本百合子 「ソヴェト同盟の三月八日」
出典:青空文庫