・・・「さあ、土匪の斬罪か何か見物でも出来りゃ格別だが、………」 僕はこう答えながら、内心長沙の人譚永年の顔をしかめるのを予想していた。しかし彼はもう一度愛想の好い顔に返ったぎり、少しもこだわらずに返事をした。「じゃもう一週間前に来り・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・なぜといえば、天主閣は、明治の新政府に参与した薩長土肥の足軽輩に理解せらるべく、あまりに大いなる芸術の作品であるからである。今日に至るまで、これらの幼稚なる偶像破壊者の手を免がれて、記憶すべき日本の騎士時代を後世に伝えんとする天主閣の数は、・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・ 叔母とその奴婢の輩は、皆玄関に立併びて、いずれも面に愁色あり。弾丸の中に行く人の、今にも来ると待ちけるが、五分を過ぎ、十分を経て、なお書斎より来らざるにぞ、謙三郎はいかにせしと、心々に思える折から、寂として広き家の、遥奥の方よりおとず・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・ こう一言言ったきり、相変らず夜は縄をない昼は山刈りと土肥作りとに側目も振らない。弟を深田へ縁づけたということをたいへん見栄に思ってた嫂は、省作の無分別をひたすら口惜しがっている。「省作、お前あの家にいないということがあるもんか」・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・しかし、彼等には、やはり、話にきいた土匪や馬賊の惨虐さが頭にこびりついていた。劣勢の場合には尻をまくって逃げだすが、優勢だと、図に乗って徹底的な惨虐性を発揮してくる。そういう話が、たった八人の彼等を、おびやかすのだった。本隊を遠く離れると、・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・しかし、やがてシロオテは屋敷の奴婢、長助はる夫婦に法を授けたというわけで、たいへんいじめられた。シロオテは折檻されながらも、日夜、長助はるの名を呼び、その信を固くして死ぬるとも志を変えるでない、と大きな声で叫んでいた。 それから間もなく・・・ 太宰治 「地球図」
・・・どうしても、そのお金を使えないのだ。奴婢の愛。女中部屋の縁のない赤ちゃけた畳、びんつけ油のにおい、竹の行李の底から恥かしき三徳出して、一枚、二枚とくしゃくしゃの紙幣、わが目前にならべられて与えられたような気がして、夜明けと共に、電話した。思・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・私が独立した一個の日本人であって、けっして英国人の奴婢でない以上はこれくらいの見識は国民の一員として具えていなければならない上に、世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、私は私の意見を曲げてはならないのです。 しかし私は英文学・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・新参小屋はほかの奴婢の居所とは別になっているのである。 奴頭が出て行くころには、もうあたりが暗くなった。この屋には燈火もない。 ―――――――――――― 翌日の朝はひどく寒かった。ゆうべは小屋に備えてある衾があま・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫