・・・塵埃をかぶって白けた街路樹が萎え凋んで、烈しく夕涼を待つ刻限だ。ここも暑い。日中の熱度は頂上に昇る。けれども、この爽かさ、清澄さ! 空は荘厳な幅広い焔のようだ。重々しい、秒のすぐるのさえ感じられるような日盛りの熱と光との横溢の下で、樹々の緑・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・自然主義以来発達して来た個人主義的なリアリズムがその十年の間にようよう社会的なリアリズムにまで成長しかけたその萌芽が、この新リアリズムの便宜的な解釈と共に萎え凋んだ。そればかりでなく、時代の複雑な相貌の必然から、リアリズムは再びもとの自然主・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・打ち顫える抱擁と思い入った瞳を思い起せば私は 心もなえ獣となって 此深い驚異すべき情に浸りたいとさえ思う。けれどもわが ひとよ!わが ひとよ!ああ 貴方は。――神よ。私は授けられた貴方・・・ 宮本百合子 「初夏(一九二二年)」
・・・そこに作家が生きている社会は、過去のどんな社会の模倣でもないとき、作家がどうして、旧いもの、おくれたもの、足の萎えたる文化の模倣をしなければならないのだろう。そこの社会こそ人間らしい立体的人間性の発展のためにつくしているのに、なぜ作家は、陳・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・日本文学の精神には、なんと、自分から自分をぬけ出てゆく能動力が萎えているのでしょう。文学にたずさわる人々をこめた人民感情そのものの中に、自主たろうとするやみがたい熱望が覚醒していないために、これらの人々にとっては自主でなければならない、とい・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・ 何の音もしない、何の色もない、すべての刺戟から庇護された隠遁所を求めて、悲しく四方を見まわし、萎え麻痺れるようになった頭が、今にも恐ろしい断念をもって垂れそうになって来ることもある。 けれども、そういうもう一歩という際で、彼女にま・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・ 少しなえた様な服を着て、猪首の巡査は、何か云っては赤い顔をした。 疎な髯のある肉のブテブテした顔が、ポーッと赤くなり、東北音の東京弁で静かに話す様子は、巡査と云う音を聞いた丈で、子供の時分から私共の頭にこびり付いて居る、・・・ 宮本百合子 「盗難」
・・・日光まで、際限なく単調なミシシッピイの秋には飽き果てたように、萎え疲れて澱んでいる。とある、壊れた木柵の陰から男が一人出て来た。 彼の皮膚は濃い茶色だ。鍔広のメキシコ帽をかぶり…… 空は水蒸気の多い水浅黄だ。植物は互に縺れこんぐらか・・・ 宮本百合子 「翔び去る印象」
・・・母の属した社会の羈絆がそれを圧しつけて萎えさせたり、歪めたりさえしなかったら、鍛錬を経て花咲くべき才能をも持っていたと思う。 母は、今の世の中のしきたりにおとなしく屈従して暮すには強く、しかし強く社会的に何事かを貫徹して生きるためにはま・・・ 宮本百合子 「母」
・・・大抵の才能ならば、その白熱と混沌との中で萎えてしまいそうなところを、踏みこたえ、掌握し、ときほぐし、描写しとおしたところに、この巨大で強壮な精神の価値がある。文学史上の一つの定説となっているバルザックの情熱の追求、――悪徳も亦情熱の権化とし・・・ 宮本百合子 「バルザックについてのノート」
出典:青空文庫