・・・また女の捨てばちな気分を表象するようにピアノの鍵盤をひとなでにかき鳴らしたあとでポツンと一つ中央のCを押すのや、兵士が自分で投げた団扇を拾い上げようとしてそのブルータルな片手で鍵盤をガチャンと鳴らすのや、そういう音的効果もあまりわざとらしく・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・それが陽気で眩目的であるだけに効果は大概皮相的で、人の心のほんの上面をなでるだけである。そしてなでられたくない人は、自由にそれを避ける事ができる。人の門内や玄関まで押しかけて来ない。その点でも市会議員の選挙運動などよりはよほど穏やかでいいも・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・ 頭をなでてくれたり、私が計算してわたす売上金のうちから、大きな五厘銅貨を一枚にぎらしてくれることもあった。 五厘銅貨など諸君は知らないかも知れぬが、いまの一銭銅貨よりよっぽど大きかったし、五厘あると学校で書き方につかう半紙が十枚も・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ みんなは器械を草の上に置いて、ベゴ石をまわってさすったりなでたりしました。「どこの標本でも、この帯の完全なのはないよ。どうだい。空でぐるぐるやった時の工合が、実によくわかるじゃないか。すてき、すてき。今日すぐ持って行こう。」 ・・・ 宮沢賢治 「気のいい火山弾」
・・・今夜はみんなで烏瓜のあかりを川へながしに行くんだって。きっと犬もついて行くよ。」「そうだ。今晩は銀河のお祭だねえ。」「うん。ぼく牛乳をとりながら見てくるよ。」「ああ行っておいで。川へははいらないでね。」「ああぼく岸から見るだ・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・彼は、ハンケチを出して額をなでまわした。ハンケチには香水がついている。グラフィーラは後毛をたらしたまま、歪んだ笑顔で、「香水をつけ出したんだね。」と云った。「とてもいい香水だ……何を拭いてるのさ?」 食いつくようにドミトリー・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・ まぶたは優しい母親の指で静かになで下げられ口は長年仕えた女の手で差えられて居る。多くの女達は冷たい幼児の手を取って自分の頬にすりつけながら声をあげて泣いて居る。啜り泣きの声と吐息の満ちた中に私は只化石した様に立って居る。「何か・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・今はかれも胸をなでた。しかるにまだ何ゆえともわかりかねながらどこかにかれを安からず思わしむるものがある。人々はかれの語るを聴いていてもすこぶるまじめでない。彼らはかれを信じたらしく見えない。かれはその背後で彼らがこそこそ話をしているらしく感・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・ 佐渡の二郎は牽つなでを引き出して、母親をくるくる巻きにして転がした。そして北へ北へと漕いで行った。 ――――――――――――「お母あさまお母あさま」と呼び続けている姉と弟とを載せて、宮崎の三郎が舟は岸に沿うて南・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・この二階に集まった大勢の人は、一体に詞少なで、それがたまたま何か言うと、皆しらじらしい。同一の人が同一の場所へ請待した客でありながら、乗合馬車や渡船の中で落ち合った人と同じで、一人一人の間になんの共通点もない。ここかしこで互に何か言うのは、・・・ 森鴎外 「百物語」
出典:青空文庫