・・・橋谷はついて来ていた家隷に、外へ出て何時か聞いて来いと言った。家隷は帰って、「しまいの四つだけは聞きましたが、総体の桴数はわかりません」と言った。橋谷をはじめとして、一座の者が微笑んだ。橋谷は「最期によう笑わせてくれた」と言って、家隷に羽織・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・けれどもその大きな顔は、だんだん吉の方へ近よって来るのは来るが、さて吉をどうしようともせず、何時までたってもただにやりにやりと笑っていた。何を笑っているのか吉にも分からなかった。がとにかく彼を馬鹿にしたような笑顔であった。 翌朝、蒲団の・・・ 横光利一 「笑われた子」
・・・このことは画家にとって非常な難事である。そうしてたといその困難に克ち得たとしても、彼はその労力に酬いられないことを感ずるだろう。なぜなら彼にとって、豊太閤という人物を十分に描き得たことと、自分の顔を完全に描き得たこととの間に、何らの重大な区・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫