・・・そこで自分は当時の日記を出して、かしこここと拾い読みに読んではその時の風光を思い浮かべていると『兄さんお宅ですか』と戸外から声を掛けた者がある。『お上がり』と自分は呼んでなお日記を見ていた。 自分の書斎に入って来たるは小山という・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・第一、日記という者書いたことのない自分がこうやって、こまめに筆を走らして、どうでもよい自分のような男の身の上に有ったことや、有ることを、今日からポツポツ書いてみようという気になったのからして、自分は五年前の大河では御座らぬ。 ああ今は気・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・r et de la mort.D. H. Lawrence : Sons and lovers.Andr Gide : La porte troite.万葉集、竹取物語、近松心中物、朝顔日記、壺坂霊験記。樋口一葉 にごりえ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・その差異については、後で触れるが、また、花袋の「第二軍従征日記」を取って見ると、やはりそこには、戦争と攻撃を詩のようだとした讃美が見られるのである。 島崎藤村については、その渡仏中のことを除いては、いまだ、戦争を作品の中に取扱っているの・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・しかし、その私が北村君と短い知合になった間は、私に取っては何か一生忘れられないものでもあり、同君の死んだ後でも、書いた反古だの、日記だの、種々書き残したものを見る機会もあって、長い年月の間私は北村君というものをスタディして居た形である。『春・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・そこに、なんのこだわりもなかった。日記は、そのまま小説であり、評論であり、詩であった。 ロマンスの洪水の中に生育して来た私たちは、ただそのまま歩けばいいのである。一日の労苦は、そのまま一日の収穫である。「思い煩うな。空飛ぶ鳥を見よ。播か・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・ 小説と日記とちがいますか? 『創作』という言葉を、誰が、いつごろ用いたのでしょう、など傍の者の、はらはらするような、それでいて至極もっともの、昨夜、寝てから、暗闇の中、じっと息をころして考えに考え抜いた揚句の果の質問らしく、誠実あふれ、い・・・ 太宰治 「喝采」
・・・ことに、幸いであったのは、その小林秀三氏の日記が、中学生時代のものと、小学校教師時代と、死ぬ年一年と、こうまとまってO君の手もとにあったことであった。私はさっそくそれを借りてきて読んだ。 この日記がなくとも、『田舎教師』はできたであろう・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・ この欠陥を補うものはまず第一に個人の日記、随感録のごときものである。そういうものが後代に愛読され尊重されるのは、必ずしもそれが「文章」であるためではなくて、それが「記録」であるためであろう。殿上の名もない一女官がおぼつかない筆で書いた・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・なお後にこのほかに松井元惇の「梅園日記」というもののある事をも知った。ともかくこれで製造法のまねぐらいはできるようになった。自分の最初の捜し方が拙であったことはたしかであるが、それにしても、本屋に並んでいる書物が「類型的」であり「非独創的」・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
出典:青空文庫