・・・ 見ればなるほど三畳敷の一間に名ばかりの板の間と、上がり口にようやく下駄を脱ぐだけの土間とがあるばかり、その三畳敷に寝床が二つ敷いてあって、豆ランプが板の間の箱の上に載せてある。その薄い光で一ツの寝床に寝ている弁公の親父の頭がおぼろに見・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・二、寝床のなかで物を考えぬこと。この二つだけ守ればどんなに勉強してもそれほど弱くはならない。これだけは守らねばならぬ。一、でき得る限り刻苦勉強すること。これはどんな天才にも必要なことである。努力せぬ者は終にはきっと負ける・・・ 倉田百三 「芸術上の心得」
・・・ 彼等は、内地にいる、兵隊に取られることを免れた人間が、暖い寝床でのびのびとねていることを思った。その傍には美しい妻が、――内地に残っている同年の男は、美しくって気に入った女を、さきに選び取る特権を持っているのだ。そこには、酒があり、滋・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・ ちょうど三年ばかり前に、五十日あまりも私の寝床が敷きづめに敷いてあったのも、この四畳半の窓の下だ。思いがけない病が五十の坂を越したころの身に起こって来た。私はどっと床についた。その時の私は再び起つこともできまいかと人に心配されたほどで・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ と苦しそうに小声で言い、すぐにそのまま式台に寝ころび、私が寝床に引返した時には、もう高い鼾が聞えていました。 そうして、その翌る日のあけがた、私は、あっけなくその男の手にいれられました。 その日も私は、うわべは、やはり同じ様に・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・私いちど、しのび足、かれの寝所に滑り込んで神の冠、そっとこの大頭へ載せてみたことさえございます。神罰なんぞ恐れんや。はっはっは。いっそ、その罰、拝見したいものではある!」予期の喝采、起らなかった。しんとなった。つづいてざわざわの潮ざい、「身・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・同じことなら、若夫婦の寝所にしのびこんでみたい、そうして、君、ああ、いやしい! きたない! 恥ずかしくないか。君は、そのような興味も、あって、僕の家を襲った。たしかに、そうだ。君は、まだ三十一だ。女のさかりだ。卑劣だねえ、君は。ところがお生・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・むつかしやの苦虫の公爵が寝床の中でこの歌を始める。これがヴァレンティーヌ夫人、ド・ヴァレーズ伯爵、ド・サヴィニャク伯爵へと伝播する。最後の伯爵のガス排出の音からふざけ半分のホルンの一声が呼び出され、このラッパが鹿狩りのラッパに転換して爽快な・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・しかし平生からそのすわり所や寝所に対してひどく気むずかしいこの猫は、そのような慣れない産室に一刻も落ち着いて寝てはいなかった。そして物につかれたようにそこらじゅうをうろついていた。 午過ぎに二階へ上がっていたら、階段の下から下女が大きな・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・お絹も寝床にいて、寝たふりで聞いていた。 道太は裏の家に大散財があったので、昨夜は夜中に寝床を下へもってきてもらって、姉妹たちの隣りの部屋に蚊帳を釣っていた。冷え冷えした風が流れていた。お絹はお芳に手伝わせて、しまってあった障子を持ちだ・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫