・・・男というものの、のほほん顔が、腹の底から癪にさわった。一体なんだというのだろう。私は、たまには、あの人からお金を貰った。冬の手袋も買ってもらった。もっと恥ずかしい内輪のものをさえ買ってもらった。けれどもそれが一体どうしたというのだ。私は貧し・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・けれども、また大隅君にとっては、この五年振りで逢った東京の友人が、相変らず迂愚な、のほほん顔をしているのを見て、いたたままらぬ技癢でも感ずるのであろうか、さかんに私たちの生活態度をののしるのだ。「疲れたろう。寝ないか。」私は大隅君の土産・・・ 太宰治 「佳日」
・・・文章粗雑、きめ荒し、生活無し、不潔なり、不遜なり、教養なし、思想不鮮明なり、俗の野心つよし、にせものなり、誇張多し、精神軽佻浮薄なり、自己陶酔に過ぎず、衒気、おっちょこちょい、気障なり、ほら吹きなり、のほほんなりと少し作品を濶達に書きかける・・・ 太宰治 「風の便り」
人の世話にばかりなって来ました。これからもおそらくは、そんな事だろう。みんなに大事にされて、そうして、のほほん顔で、生きて来ました。これからも、やっぱり、のほほん顔で生きて行くのかも知れない。そうして、そのかずかずの大恩に・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・日本でニュウス映画を見ていても、ちゃんとわかる程度のものを発見して、のほほん顔でいるようであります。此の上は、五年十年と、満洲に、「一生活人」として平凡に住み、そうして何か深いものを体得した人の言葉に、期待するより他は、ありません。私の三人・・・ 太宰治 「三月三十日」
・・・すべての努力を嫌い、のほほん顔でHを眺めて暮していた。馬鹿である。何も、しなかった。ずるずるまた、れいの仕事の手伝いなどを、はじめていた。けれども、こんどは、なんの情熱も無かった。遊民の虚無。それが、東京の一隅にはじめて家を持った時の、私の・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・自己制御、謙譲も美しいが、のほほん顔の王さまも美しい。どちらが神に近いか、それは私にも、わからない。いろいろ思いつくままに、言いました。罪の意識という事に就いても言いました。やがて委員が立って、「それでは、之で座談会を終了いたします。」と言・・・ 太宰治 「みみずく通信」
・・・ 今日たくさんの人たちが、のほほんとして「あの時はあの時のこと」と白を切っているような文学の態度を示しています。それにたいする一つの抗議として高見さんの小説の態度は買われるのでしょうし、作者として敏感にそういう要求をもつ今日のインテリゲ・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
出典:青空文庫