・・・シャロットの女の窓より眼を放つときはシャロットの女に呪いのかかる時である。シャロットの女は鏡の限る天地のうちに跼蹐せねばならぬ。一重隔て、二重隔てて、広き世界を四角に切るとも、自滅の期を寸時も早めてはならぬ。 去れどありのままなる世は罪・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・右から盾を見るときは右に向って呪い、左から盾を覗くときは左に向って呪い、正面から盾に対う敵には固より正面を見て呪う。ある時は盾の裏にかくるる持主をさえ呪いはせぬかと思わるる程怖しい。頭の毛は春夏秋冬の風に一度に吹かれた様に残りなく逆立ってい・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・見ますとね、先刻の何人でも呪いそうな彼の可怖い眼の方が、隣の列車の窓につかまって泣いてらッしゃるのでした、多くの人目も羞じないで。鋭い声の、あれが泣饒舌と云うのかも知れませんね。『兄さん、貴方は死んで呉れちゃいやですよ。決して死ぬんじゃ・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・ この時自分のいる所から余り遠くない所に、鈍い、鼾のような声がし出したので、一本腕は頭をその方角に振り向けた。「おや。なんだ。爺いさん。そいつあいけねえぜ。」一本腕が、口に一ぱい物を頬張りながら云った。 一言の返事もせずに、地び・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・ 五日の月が、西の山脈の上の黒い横雲から、もう一ぺん顔を出して、山に沈む前のほんのしばらくを、鈍い鉛のような光で、そこらをいっぱいにしました。冬がれの木や、つみ重ねられた黒い枕木はもちろんのこと、電信柱までみんな眠ってしまいました。・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
・・・ 驢馬が頭を下げてると荷物があんまり重過ぎないかと驢馬追いにたずねましたし家の中で赤ん坊があんまり泣いていると疱瘡の呪いを早くしないといけないとお母さんに教えました。 ところがそのころどうも規則の第一条を用いないものができてきました・・・ 宮沢賢治 「毒もみのすきな署長さん」
・・・「おや、呪いをかけたね。僕も引っ込んじゃいないよ。さあ、お前のような、」「一寸お待ちなさい。あなた方は一体何をさっきから喧嘩してるんですか。」新らしい二人の声が一緒にはっきり聞え出す。「オーソクレさん。かまわないで下さい・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・ 女の子は笑って何かかすかに呪いのような歌をやりながらみんなを指図しています。 ペンネンネンネンネン・ネネムはその女の子の顔をじっと見ました。たしかにたしかにそれこそは妹のペンネンネンネンネン・マミミだったのです。ネネムはとうとう堪・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・の偉大さをも感じないほど疲れた鈍い、哀れな感情になる事を思うのは、いかほど辛い事だろう。 どれほど、白髪が、私の頭を渦巻こうとも額にしわが数多く寄ろうとも、只、希うのは、健に、敏い感情のみを保ちたいと云う事である。 今私が、妹の死を・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・寿江子のは泰子のように口から舌押えの棒をたてる代りに、おそろしい呪いの言葉を発します。こう書いて今日は笑えるから嬉しいわ。これで私もまた一層のんきになって治れます。私がひっくり返って治るまでに、咲枝やおなかの赤チャン、泰子、国男さん、寿江子・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫