・・・たとえば日本の歴史教科書は一度もこう云う敗戦の記事を掲げたことはないではないか?「大唐の軍将、戦艦一百七十艘を率いて白村江(朝鮮忠清道舒川県に陣列れり。戊申(天智天皇日本の船師、始めて至り、大唐の船師と合戦う。日本利あらずして退く。己酉・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・撫子、銚子、杯洗を盆にして出で、床なる白菊を偶と見て、空瓶の常夏に、膝をつき、ときの間にしぼみしを悲む状にて、ソと息を掛く。また杯洗を見て、花を挿直し、猪口にて水を注ぎ入れつつ、ほろりとする。村越 (手を拍撫子 はい、はい。・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・鮎の大きいのは越中の自慢でありますが、もはや落鮎になっておりますけれども、放生津の鱈や、氷見の鯖より優でありまするから、魚田に致させまして、吸物は湯山の初茸、後は玉子焼か何かで、一銚子つけさせまして、杯洗の水を切るのが最初。「姉さん、お・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・いかにして国運を恢復せんか、いかにして敗戦の大損害を償わんか、これこの時にあたりデンマークの愛国者がその脳漿を絞って考えし問題でありました。国は小さく、民は尠く、しかして残りし土地に荒漠多しという状態でありました。国民の精力はかかるときに試・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・新聞社にいたころから時々自転車の上で弱い咳をしていたが、あれからもう半年、右肺尖カタル、左肺浸潤と医者が即座にきめてしまったほど、体をこわしていたのだった。ガレーヂの二階で低い天井を睨んで寝ていたが、肺と知って雇主も困り、「家があるんや・・・ 織田作之助 「雨」
・・・京都で一番賑かな四条通、河原町通の商店の資本は、敗戦後たいてい大阪商人から出ているという話である。 最近、四条河原町附近の土地を、五百万円の新円で買い取った大阪の商人がいるという。 焼けても、さすがに大阪だったのだ。――という眼でみ・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・ 人間の努力というものは奇妙なもので、努力するという限りでは、ここ数年間の軍官民はそれぞれ莫迦は莫迦なりに努力して来たのだが、その努力が日本を敗戦に導くための努力であった如く、日本の文壇の努力は日本の小説を貧困に導くための努力であった。・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・いわば世相の語り方に公式が出来ているのだ。敗戦、戦災、失業、道義心の頽廃、軍閥の横暴、政治の無能。すべて当然のことであり、誰が考えても食糧の三合配給が先決問題であるという結論に達する。三歳の童子もよくこれを知っているといいたいところである。・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・ みなさんは、日本を敗戦国にしたのは、軍閥と官僚だとお思いになっていらっしゃるかも知れませんが、実は猫と杓子が日本をこんなことにしてしまったのです。猫と杓子が寄ってたかって、戦争だ、玉砕だ、そうだそうだ、賛成だ賛成だ、非国民だなどと、わ・・・ 織田作之助 「猫と杓子について」
・・・ ところが、その機を外さぬ盞事がはじまってみると、新郎の伊助は三三九度の盞をまるで汚い物を持つ手つきで、親指と人差指の間にちょっぴり挾んで持ち、なお親戚の者が差出した盞も盃洗の水で丁寧に洗った後でなければ受け取ろうとせず、あとの手は晒手・・・ 織田作之助 「螢」
出典:青空文庫