・・・一人の少い方は、洋傘を片手に、片手は、はたはたと扇子を使い使い来るが、扇子面に広告の描いてないのが可訝いくらい、何のためか知らず、絞の扱帯の背に漢竹の節を詰めた、杖だか、鞭だか、朱の総のついた奴をすくりと刺している。 年倍なる兀頭は、紐・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・景気の好いのは、蜜垂じゃ蜜垂じゃと、菖蒲団子の附焼を、はたはたと煽いで呼ばるる。……毎年顔も店も馴染の連中、場末から出る際商人。丹波鬼灯、海酸漿は手水鉢の傍、大きな百日紅の樹の下に風船屋などと、よき所に陣を敷いたが、鳥居外のは、気まぐれに山・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・……焚つけを入れて、炭を継いで、土瓶を掛けて、茶盆を並べて、それから、扇子ではたはたと焜炉の火口を煽ぎはじめた。「あれに沢山ございます、あの、茂りました処に。」「滝でも落ちそうな崖です――こんな町中に、あろうとは思われません。御閑静・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ 霜風は蝋燭をはたはたと揺る、遠洋と書いたその目標から、濛々と洋の気が虚空に被さる。 里心が着くかして、寂しく二人ばかり立った客が、あとしざりになって……やがて、はらはらと急いで散った。 出刃を落した時、赫と顔の色に赤味を帯びて・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・一度ひっそり跫音を消すや否や、けたたましい音を、すたんと立てて、土間の板をはたはたと鳴らして駈け出した。 境はきょとんとして、「何だい、あれは……」 やがて膳を持って顕われたのが……お米でない、年増のに替わっていた。「やあ、・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ 大提灯にはたはたと翼の音して、雲は暗いが、紫の棟の蔭、天女も籠る廂から、鳩が二三羽、衝と出て飜々と、早や晴れかかる銀杏の梢を矢大臣門の屋根へ飛んだ。 胸を反らして空模様を仰ぐ、豆売りのお婆の前を、内端な足取り、裳を細く、蛇目傘をや・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・しばらくしては立ちあがり、はたはたと着物の前をたたくのだ。糸屑を払い落す為であったかも知れぬ。からだをくねらせて私の片頬へ縫針を突き刺した。「坊や、痛いか。痛いか。」私には痛かった。 私の祖母が死んだのは、こうして様様に指折りか・・・ 太宰治 「玩具」
・・・ 舞台では菊五郎の権八が、したたるほどのみどり色の紋付を着て、赤い脚絆、はたはたと手を打ち鳴らし、「雉も泣かずば撃たれまいに」と呟いた。嗚咽が出て出て、つづけて見ている勇気がなかった。開演中お静かにお願い申します。千も二千も色様様の人が・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・ 青葉。砂利道。人の流れ。「こわくないか。」 私はぐっと眼をつぶった。言っていけない言葉を彼は言ったのだ。 はたはたと耳をかすめて通る風の音にまじって、低い歌声が響いて来た。彼が歌っているのであろうか。眼が熱い。さっき私を木・・・ 太宰治 「猿ヶ島」
・・・は霰に似て、微風が時折、天地の溜息の如く通過し、いかにも静かな春の良夜、これがこの世の見おさめと思えば涙も袖にあまり、どこからともなく夜猿の悲しそうな鳴声が聞えて来て、愁思まさに絶頂に達した時、背後にはたはたと翼の音がして、「別来、恙無・・・ 太宰治 「竹青」
出典:青空文庫