・・・と、人夫は見たように話す。「なにしろ哀れむべきやつサ。」と巡査が言って何心なく土手を見ると、見物人がふえて学生らしいのもまじっていた。 この時赤羽行きの汽車が朝日をまともに車窓に受けて威勢よく走って来た。そして火夫も運転手も乗客も、・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・「宇平ドンにゃ、今、宇一がそこの小屋へ来とるが、よその豚と間違うせに放すまい、云いよるが……。」と、親爺は云った。 健二は老いて萎びた父の方を見た。残飯桶が重そうだった。「宇一は、だいぶ方々へ放さんように云うてまわりよるらしい。・・・ 黒島伝治 「豚群」
・・・ 杜氏は、話す調子だけは割合おだやかだった。彼は、「お主の賃銀もその話が片づいてから渡すものは渡すそうじゃ、まあ、それまでざいへ去んで休んどって貰えやえゝ。」と云った。「そいつは併し困るんだがなあ。賃銀だけは貰って行かなくちゃ!・・・ 黒島伝治 「豚群」
・・・彼は、なお、土地を手離すまいと努力した。金を又借り足して利子を払った。しかし、何年か前、彼に、土地を売りつけに来た熊さんは、矢のように借金の取立てに押しかけて来た。土地を売ッ払ッて仕末をつけてしまうように、無遠慮な調子で切り出した。 昔・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・頬髯を無遠慮に生やしているので、なかなか立派に見える中村が、客座にどっしりと構えて鷹揚にまださほどは居ぬ蚊を吾家から提げた大きな雅な団扇で緩く払いながら、逼らぬ気味合で眼のまわりに皺を湛えつつも、何か話すところは実に堂々として、どうしても兄・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・そして、これからは次々と出くる屁を、一々丁寧に力をこめて高々と放すことにした。それは彼奴等に対して、この上もないブベツ弾になるのだ。殊にコンクリートの壁はそれを又一層高々と響きかえらした。 しばらく経ってから気付いたことだが、早くから来・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・誰が話すことも、それは誰にとってもみんな自分のことだった。山崎のお母さんは林檎や蜜柑を皿に一杯盛って出した。母が何時か特高室で会ったことのある子供を負んぶしていたおかみさんが、その蜜柑の一つを太い無骨な指でむいていたが、独言のように、「中に・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・「二人育てるも、三人育てるも、世話する身には同じことだ。」 と、私も考え直した。長いこと親戚のほうに預けてあった娘が学齢に達するほど成人して、また親のふところに帰って来たということは、私に取っての新しいよろこびでもあった。そのころの・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ こういったようなことから、後で女房が亭主に話すと、亭主はこの辺では珍らしい捌けた男なんだそうで、それは今ごろ始った話じゃないんだ。己の家の饅頭がなぜこんなに名高いのだと思う、などとちゃらかすので、そんならお前さんはもう早くから人の悪口・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・みると薄暮の中庭で、女房と店の主人が並んで立って、今しも女房が主人に教えられ、最初の一発を的に向ってぶっ放すところであった。女房の拳銃は火を放った。けれども弾丸は、三歩程前の地面に当り、はじかれて、窓に当った。窓ガラスはがらがらと鳴ってこわ・・・ 太宰治 「女の決闘」
出典:青空文庫