・・・このバスの部屋の中に」「どうして又そんな所に行っていたのだろう?」「さあ、鼠かも知れません」 僕は給仕の退いた後、牛乳を入れない珈琲を飲み、前の小説を仕上げにかかった。凝灰岩を四角に組んだ窓は雪のある庭に向っていた。僕はペンを休・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・駅とは正反対の方角ゆえ、その道から駅へ出られるとも思えず、なぜその道を帰って来るのだろうと不審だったが、そしてまた例のものぐさで訊ねる気にもなれなかったが、もしかしたらバスか何かの停留所があってそこから町へ行けるではないかと、かねがね考えて・・・ 織田作之助 「道」
・・・雪の下は都会めかしたアスファルトで、その上を昼間は走る亀ノ井バスの女車掌が言うとおり「別府の道頓堀でございます」から、土産物屋、洋品屋、飲食店など殆んど軒並みに皎々と明るかった。 その明りがあるから、蝋燭も電池も要らぬ。カフェ・ピリケン・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・それは重々しいバスである。「いないのかよう。××さんは」 それはこの港に船の男を相手に媚を売っている女らしく思える。私はその返事のバスに人ごとながら聴耳をたてたが、相不変曖昧な言葉が同じように鈍い調子で響くばかりで、やがて女はあきら・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・われわれの日常乗るバスの女車掌でさえも有閑婦人の持たない活々した、頭と手足の働きからこなされて出た、弾力と美しさをもっている。働かない婦人はだんだんと頭と心の動きと美しさとにおいて退歩しつつあるように見える。女優や、音楽家や、画家、小説家の・・・ 倉田百三 「婦人と職業」
・・・行きしなに、誰れでも外米は食いたくないんだから今度買ってきたら分けあって食べましょうと云って乗合バスに乗った。近所の者は分けて呉れることゝ心待ちに待っていたが、四五日しても挨拶がない。買って来たのは玄米らしく、精米所へ搗きに出しているのが目・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・青バスの後に映画のビラが貼られているのを見ると、一緒の同志が「出たら、第一番に活動を見たいな。」と云った。 時代錯誤な議事堂の建物も、大方出来ていた。俺だちはその尖塔を窓から覗きあげた。頂きの近いところに、少し残っている足場が青い澄んだ・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・この駅にはもとからバスも何も無いのだ。」と知ったかぶりして鞄を持直し、さっさと歩き出したら、其のとき、闇のなかから、ぽっかり黄色いヘッドライトが浮び、ゆらゆらこちらへ泳いで来ます。「あ、バスだ。今は、バスもあるのか。」と私はてれ隠しに呟・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ 相川行のバスに乗った。バスの乗客は、ほとんど此の土地の者ばかりであった。皮膚病の人が多かった。漁村には、どうしてだか、皮膚病が多いようである。 きょうは秋晴れである。窓外の風景は、新潟地方と少しも変りは無かった。植物の緑は、淡い。・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・ ばりばりと音たててKの傘が、バスの車輪にひったくられて、つづいてKのからだが、水泳のダイヴィングのようにすらっと白く一直線に車輪の下に引きずりこまれ、くるくるっと花の車。「とまれ! とまれ!」 私は丸太棒でがんと脳天を殴られた・・・ 太宰治 「秋風記」
出典:青空文庫