・・・それから馬場を通り抜け、九段を下りて神保町をブラブラし、時刻は最う八時を過ぎて腹の虫がグウグウ鳴って来たが、なかなかそこらの牛肉屋へ入ろうといわない。とうとう明神下の神田川まで草臥れ足を引摺って来たのが九時過ぎで、二階へ通って例の通りに待た・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 其処で、私は、眠ている祖母の傍に行って揺って起こそうとした。すると母は、『お前、昼眠をせんで起きているのか、頭に悪いから斯様熱いのに外へは出られんから少し眠て起きれ。』といって、また其儘眠ってしまった。私は、張合が抜けて父の室に行って・・・ 小川未明 「感覚の回生」
・・・あのころは随分私もお転婆だったが……ああ、もうあのころのような面白いことは二度とないねえ!」としみじみ言って、女はそぞろに過ぎ去った自分の春を懐かしむよう。「ははは、何だか馬鹿に年寄り染みたことを言うじゃねえか。お光さんなんざまだ女の盛・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・やがて天満から馬場の方へそれて、日本橋の通りを阿倍野まで行き、それから阪和電車の線路伝いに美章園という駅の近くのガード下まで来ると、そこにトタンとむしろで囲ったまるでルンペン小屋のようなものがありました。男はその中へもぐりました。そこがその・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・三、四、六、七の日が灸の日で、この日は無量寺の紋日だっせ、なんし、ここの灸と来たら……途端に想いだしたのは、当時丹造が住んでいた高津四番丁の飴屋の路地のはいり口に、ひっそりひとり二階借りしていたおかね婆さんのことだ。 名前はおかねだが、・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ そう判った途端、赤井は何思ったかミネ子の手をひっぱって、大阪の放送局のある馬場町の方へかけ出して行った。 丁度その頃、白崎もその放送を聴いていた。バラックにはもう、ラジオも電話もついていたのだ。父が声を掛けた。「おい、第二放送・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・妻の村であった。窓から顔を出してみると、プラットホームの乗客の間に背丈の高い妻の父の羽織袴の姿が見え、紋付着た妻も、袴をつけた私の二人の娘たちも見えた。四人は前の方の車に乗った。妻の祖母と総領の嫁さんとは私たちの窓の外へ来て悔みを言った。次・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
母親がランプを消して出て来るのを、子供達は父親や祖母と共に、戸外で待っていた。 誰一人の見送りとてない出発であった。最後の夕餉をしたためた食器。最後の時間まで照していたランプ。それらは、それらをもらった八百屋が取りに来・・・ 梶井基次郎 「過古」
・・・どうせ私は鬼婆だから私が何か言うと可怕いだろうよ」 何と言われても一方は泣くばかり、母は一人で並べている。「だから出来なきゃ出来ないと言って寄こせば可いんだ。新町から青山くんだりまで三円ばかしのお金を取りに来るような暇はない身体です・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・幼時、主として祖母に育てられた。祖母に方々へつれて行って貰った。晩にねる時には、いつも祖母の「昔話」「おとぎばなし」をきゝながら、いつのまにかねむってしまった。生れた時は、もう祖父はなかったが、祖母は、祖父の話をよくした。「おとぎばなし」は・・・ 黒島伝治 「自伝」
出典:青空文庫