・・・と戦ってきた幾年の間を浮世とやり合って、よく搦手を守りおおさせたいわゆるオカミサンであったのであるし、それに元来が古風実体な質で、身なり髪かたちも余り気にせぬので、まだそれほどの年では無いが、もはや中婆ァさんに見えかかっている位である。・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・筒口俊雄はこのごろ喫み覚えた煙草の煙に紛らかしにっこりと受けたまま返辞なければ往復端書も駄目のことと同伴の男はもどかしがりさてこの土地の奇麗のと言えば、あるある島田には間があれど小春は尤物介添えは大吉婆呼びにやれと命ずるをまだ来ぬ先から俊雄・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ 今の住所へは私も多くの望みをかけて移って来た。婆やを一人雇い入れることにしたのもその時だ。太郎はすでに中学の制服を着る年ごろであったから、すこし遠くても電車で私の母校のほうへ通わせ、次郎と末子の二人を愛宕下の学校まで毎日歩いて通わ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 高瀬が馬場裏の家を借りていることは、最早仮の住居とも言えないほど長くなった。彼は自分のものとして自由にその日を送ろうとした。 南の障子へ行って見た。濡縁の外は落葉松の垣だ。風雪の為に、垣も大分破損んだ。毎年聞える寂しい蛙の声が復た・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・戸川秋骨君、馬場孤蝶君は、私が明治学院時代の友達という関係から、自然と文学界の仲間入をされるようになった。こんな風にして、皆親しく往来するようになったのだが、兎に角文学界というものを起そうとしたのは、星野君兄弟と、平田禿木君とで、殊に男三郎・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・ その内そこへ婆あさんが一人見えて来た。小さい腰の曲った婆あさんである。籠を持って一軒一軒廻っている。この為事は馴れた業と見えて平気な様子をしている。どの家でも何かくれると、それを受け取って、所々に穴の開いている、大きな籠の中へ入れる。・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・また、晩ごはんのときには、ひとり、ひとりお膳に向って坐り、祖母、母、長兄、次兄、三兄、私という順序に並び、向う側は、帳場さん、嫂、姉たちが並んで、長兄と次兄は、夏、どんなに暑いときでも日本酒を固執し、二人とも、その傍に大型のタオルを用意させ・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・に悲しむことを妨げ、かえって懸命に茶化して、しさいらしく珠数を爪繰っては人を笑わせ、愚僧もあの婦人には心が乱れ申したわい、お恥かしいが、まだ枯れて居らん証拠じゃのう、などと言い、私たちを誘って、高田の馬場の喫茶店へ蹌踉と乗り込むのでした。こ・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・知性の極というものは、……の馬場の言葉に、小生……いや、何も言うことは無之候。映画ファンならば、この辺でプロマイドサインを願う可きと存候え共、そして小生も何か太宰治さま、よりの『サイン』に似たもの、欲しとは存じ候え共、いけませんでしょうか。・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 馬場がそう言ったのを私は忘れない。そのくせ、私を佐野次郎なぞと呼びはじめたのは、たしかに馬場なのである。私は馬場と上野公園内の甘酒屋で知り合った。清水寺のすぐちかくに赤い毛氈を敷いた縁台を二つならべて置いてある小さな甘酒屋で知り合った・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
出典:青空文庫