・・・すると、その五味が皆火花になって、眼といわず、口といわず、ばらばらと遠藤の顔へ焼きつくのです。 遠藤はとうとうたまり兼ねて、火花の旋風に追われながら、転げるように外へ逃げ出しました。 三 その夜の十二時に近い時分・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・いや、今十内が云った里げしきの「さすが涙のばらばら袖に、こぼれて袖に、露のよすがのうきつとめ」と云う文句さえ、春宮の中からぬけ出したような、夕霧や浮橋のなまめかしい姿と共に、歴々と心中に浮んで来た。如何に彼は、この記憶の中に出没するあらゆる・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ と言うなりに、こめかみの処へ頭痛膏を貼った顔を掉って、年増が真先に飛込むと、たちまち、崩れたように列が乱れて、ばらばらと女連が茶店へ駆寄る。 ちょっと立どまって、大爺と口を利いた少いのが、続いて入りざまに、「じゃあ、何だぜ、お・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・眦が下って、脂ぎった頬へ、こう……いつでもばらばらとおくれ毛を下げていた。下婢から成上ったとも言うし、妾を直したのだとも云う。実の御新造は、人づきあいはもとよりの事、門、背戸へ姿を見せず、座敷牢とまでもないが、奥まった処に籠切りの、長年の狂・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・そして、ちりぢりばらばらに、めいめいの家へ帰ってしまいました。 その日の昼過ぎから、沖の方は暴れて、ひじょうな吹雪になりました。夜になると、ますます風が募って、沖の方にあたって怪しい海鳴りの音などが聞こえたのであります。 その明くる・・・ 小川未明 「黒い人と赤いそり」
・・・ そうしてる内に、手が両方ばらばらになって落ちて来ました。右の足と左の足とが別々に落ちて来ました。最後に子供の胴が、どしんとばかり空から落っこって来ました。 私はもう初め首の落っこって来た時から、恐くて恐くてぶるぶる顫えていました。・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・ 口あらそいは勿論、相当はげしくつかみ合った証拠には、今その帰りだといって、おれの家へ自動車で乗りつけた時は、袖がひき千切れ、髪の毛は浅ましくばらばらだった。眇眼の眼もヒステリックに釣り上がって、唇には血がにじんでいた。「――これが・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・と私の理性が信じていても、澄み透った水音にしばらく耳を傾けていると、聴覚と視覚との統一はすぐばらばらになってしまって、変な錯誤の感じとともに、訝かしい魅惑が私の心を充たして来るのだった。 私はそれによく似た感情を、露草の青い花を眼にする・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・ところが、上衣を引きはぐと、どこにどうしてかくしているのか、五十足の靴下が、ばらばらと足もとへ落ちてきた。一人の少年が三十七個の化粧品の壜を持っていた。逃げる奴は射撃した。 それは、一時途絶えたかと思うと、また、警戒兵が気を許している時・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・ 橇が、兵士の群がっている方へ近づき、もうあと一町ばかりになった時、急に兵卒が立って、ばらばらに前進しだした。でも、なお、あと、五六人だけは、雪の上に坐ったまま動こうとはしなかった。将校がその五六人に向って何か云っていた。するとそのうち・・・ 黒島伝治 「橇」
出典:青空文庫