・・・そのうちに海軍の兵曹上りの男が宵のうちから卵塔場に張りこんでいて、とうとう幽霊を見とどけたんですがね。とっつかまえて見りゃ何のことはない。ただそのながらみ取りと夫婦約束をしていたこの町の達磨茶屋の女だったんです。それでも一時は火が燃えるの人・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・彼は、ゴルゴタへひかれて行くクリストが、彼の家の戸口に立止って、暫く息を入れようとした時、無情にも罵詈を浴せかけた上で、散々打擲を加えさえした。その時負うたのが、「行けと云うなら、行かぬでもないが、その代り、その方はわしの帰るまで、待って居・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・――おれはそう思うたら、今でも不思議な気がするくらい、ありとあらゆる罵詈讒謗が、口を衝いて溢れて来た。もっともおれの使ったのは、京童の云う悪口ではない。八万法蔵十二部経中の悪鬼羅刹の名前ばかり、矢つぎ早に浴びせたのじゃ。が、船は見る見る遠ざ・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・高い腰の上は透明なガラス張りになっている雨戸から空をすかして見ると、ちょっと指先に触れただけでガラス板が音をたてて壊れ落ちそうに冴え切っていた。 将来の仕事も生活もどうなってゆくかわからないような彼は、この冴えに冴えた秋の夜の底にひたり・・・ 有島武郎 「親子」
・・・佐藤の妻は素跣のまま仁右衛門の背に罵詈を浴せながら怒精のようについて来た。そして小屋の前に立ちはだかって、囀るように半ば夢中で仁右衛門夫婦を罵りつづけた。 仁右衛門は押黙ったまま囲炉裡の横座に坐って佐藤の妻の狂態を見つめていた。それは仁・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ この女像にして、もし、弓矢を取り、刀剣を撫すとせんか、いや、腰を踏張り、片膝押はだけて身構えているようにて姿甚だととのわず。この方が真ならば、床しさは半ば失せ去る。読む人々も、かくては筋骨逞しく、膝節手ふしもふしくれ立ちたる、がんまの・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・水の輪の拡がり、嵐の狂うごとく、聞くも堪えない讒謗罵詈は雷のごとく哄と沸く。 鎌倉殿は、船中において嚇怒した。愛寵せる女優のために群集の無礼を憤ったのかと思うと、――そうではない。この、好色の豪族は、疾く雨乞の験なしと見て取ると、日の昨・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・気の張りが全く衰えてどうなってもしかたがないというような心持ちになってしまった。 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・昼間はとても出ることが出来なかった、日が暮れるのを待ったんやけど、敵は始終光弾を発射して味方の挙動を探るんで、矢ッ張り出られんのは同じこと。」「鳥渡聴くが、光弾の破裂した時はどんなものだ?」「三四尺の火尾を曳いて弓形に登り、わが散兵・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・それが下りて行くと、妻はそとへも聴えるような甲高な声で、なお罵詈罵倒を絶たなかった。「あなたは色気狂いになったのですか?――性根が抜けたんですか?――うちを忘れたんですか? お父さんが大変おこってらッしゃるのを知らないでしょう?――」・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
出典:青空文庫