・・・せめて私は毎日ながめ暮らす身のまわりだけでも繕いたいと思って、障子の切り張りなどをしていると、そこへ次郎が来て立った。「とうさん、障子なんか張るのかい。」 次郎はしばらくそこに立って、私のすることを見ていた。「引っ越して行く家の・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ゲエテ一点張りである。これとても、ゲエテの素朴な詩精神に敬服しているのではなく、ゲエテの高位高官に傾倒しているらしい、ふしが、無いでもない。あやしいものである。けれども、兄妹みんなで、即興の詩など、競作する場合には、いつでも一ばんである。で・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・(全く自信を取りかえしたものの如く、卓上、山と積まれたる水菓子、バナナ一本を取りあげるより早く頬ばり、ハンケチ出して指先を拭い口を拭い一瞬苦悶、はっと気を取り直したる態私は、このバナナを食うたびごとに思い出す。三年まえ、私は中村地平という少・・・ 太宰治 「喝采」
・・・って、ああ、あのころはよかったな、といても立っても居られぬほどの貴き苦悶を、万々むりのおねがいなれども、できるだけ軽く諸君の念頭に置いてもらって、そうして、その地獄の日々より三年まえ、顔あわすより早く罵詈雑言、はじめは、しかつめらしくプウシ・・・ 太宰治 「喝采」
・・・何よりも僕の考えていることは、友人面をしてのさばりたくないことだ。君の手紙のうれしかったのは、そんな秘れた愛情の支持者があの中にいたことだ。君が神なら僕も神だ。君が葦なら――僕も葦だ。三、それから、君の手紙はいくぶんセンチではなかったか。と・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・その文学は、伝統を打ち破ったとも思われず、つまり、子供の読物を、いい年をして大えばりで書いて、調子に乗って来たひとのようにさえ思われる。しかし、アンデルセンの「あひるの子」ほどの「天才の作品」も、一つもないようだ。そうして、ただ、えばるので・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・私はただ漠然と日常の世界に張り渡された因果の網目の限りもない複雑さを思い浮べるに過ぎなかった。 あらゆる方面から来る材料が一つの釜で混ぜられ、こなされて、それからまた新しい一つのものが生れるという過程は、人間の精神界の製作品にもそれに類・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・悪口を云われる方では辛抱して罵詈の嵐を受け流しているのを、後に立っている年寄の男が指で盆の窪を突っついてお辞儀をさせる、取巻いて見物している群集は面白がってげらげら笑い囃し立てる、その観客の一人一人のクローズアップの中からも吾々はいくらも故・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・いろいろないたずら書きの中に『明星』ばりの幼稚な感傷的な歌がいくつか並んでいる。こういう歌はもう二度と作れそうもない。当時二十五歳大学の三年生になったばかりの自分であったのである。 たしかその時のことである。江の島の金亀楼で一晩泊った。・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・とかいうものを固執して他流を排斥しあるいは罵詈するようなこともかなり多い。門外の風来人から見ると、どの流派にもみんなそれぞれのおもしろいところとおもしろくないところもあるように思われ、またいろいろの「主張」がいったい本質的にどこがちがうのか・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
出典:青空文庫