・・・ どこか、庭の捨て石の下からはい出てきた、がまがえるが、日あたりのいい、土手の草の上に控えて、哲学者然と瞑想にふけっていましたが、たまたま頭が上へ飛んできた、女ちょうのひとりごとをきくと、目をぱっちりと開けて、大きな口で話しかけました。・・・ 小川未明 「冬のちょう」
・・・茶色な髪をかぶったような男の児の人形で、それを寝かせば眼をつぶり、起こせばぱっちりと可愛い眼を見開いた。袖子があの人形に話しかけるのは、生きている子供に話しかけるのとほとんど変わりがないくらいであった。それほどに好きで、抱き、擁え、撫で、持・・・ 島崎藤村 「伸び支度」
・・・丈はすらりとしているし、眼は鈴を張ったようにぱっちりしているし、口は緊って肉は痩せず肥らず、晴れ晴れした顔には常に紅が漲っている。今日はあいにく乗客が多いので、そのまま扉のそばに立ったが、「こみ合いますから前の方へ詰めてください」と車掌の言・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開けた。大きな潤のある眼で、長い睫に包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸の奥に、自分の姿が鮮に浮かんでいる。 自分は透き徹るほど深く見えるこの黒眼の色沢を眺めて、これでも死ぬの・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・眼をぱっちりとあいたときは、もう何もかもわかっていた。「おい、象のやつは小屋にいるのか。居る? 居る? 居るのか。よし、戸をしめろ。戸をしめるんだよ。早く象小屋の戸をしめるんだ。ようし、早く丸太を持って来い。とじこめちまえ、畜生めじたば・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・ にわかに男の子がぱっちり眼をあいて云いました。「ああぼくいまお母さんの夢をみていたよ。お母さんがね立派な戸棚や本のあるとこに居てね、ぼくの方を見て手をだしてにこにこにこにこわらったよ。ぼくおっかさん。りんごをひろってきてあげましょ・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・そして、日常の諸現象について、妙に精神化の流行することについても冷静に見てゆく女のぱっちりと澄んだ眼が求められているのではないだろうか。それらのどれもが、近づいて見れば、いわゆる女らしさから何と大きい幅で踏み出して来ていることであろう。・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・子供のぱっちりした体をそっと抓みよせて見ても、このように指先に皮膚と筋肉との境は知覚されないだろう。「なるほどね――私なんぞひどい」とYが感服した。「年のせいもあるわ」 三人が抓みっこをしていたテーブルに、夕刊が一枚あった。・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・わたしたちの眼がぱっちりと見ひらかれないで、睫がやにで半分閉されているようなとき、その眼を美しくするために冷たい水でもって眼をお洗いなさいというようなことを美容法では忠告しています。清新な眼を見ひらいた美しい匂やかなまなざしを、わたしたちは・・・ 宮本百合子 「自覚について」
・・・四十代が半分過ぎているのに、まだぱっちりした、可哀らしい目をしている女である。「おこってはいけない。」「おこりなんかしませんわ。」と云って、奥さんはちょいと笑ったが、秀麿の返事より、この笑の方が附合らしかった。 ――・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫