・・・その方は一足先へ参れ。身どもは宿まで取って返そう。」――彼はこう云い放って、一人旅籠へ引き返した。喜三郎は甚太夫の覚悟に感服しながら、云われた通り自分だけ敵打の場所へ急いだ。 が、ほどなく甚太夫も、祥光院の門前に待っていた喜三郎と一しょ・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・轢死する人足の心もちをはっきり知っていた詩人です。しかしそれ以上の説明はあなたには不必要に違いありません。では五番目の龕の中をごらんください。――」「これはワグネルではありませんか?」「そうです。国王の友だちだった革命家です。聖徒ワ・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・どうせ縁日物だから、大した植木がある訳じゃないが、ともかくも松とか檜とかが、ここだけは人足の疎らな通りに、水々しい枝葉を茂らしているんだ。「こんな所へ来たは好いが、一体どうする気なんだろう?――牧野はそう疑いながら、しばらくは橋づめの電・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・毎日三人で焼けあとに出かけていって、人足の人なんかに、じゃまだ、あぶないといわれながら、いろいろのものを拾い出して、めいめいで見せあったり、取りかえっこしたりした。 火事がすんでから三日めに、朝目をさますとおばあさまがあわてるようにポチ・・・ 有島武郎 「火事とポチ」
・・・ そういって彼れは笏を上げて青年たちに一足先きに行けと眼で合図した。青年たちが騒ぎ合いながら堂母の蔭に隠れるのを見届けると、フランシスはいまいましげに笏を地に投げつけ、マントと晴着とをずたずたに破りすてた。 次の瞬間にクララは錠のお・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ この光、ただに身に添うばかりでなく、土に砕け、宙に飛んで、翠の蝶の舞うばかり、目に遮るものは、臼も、桶も、皆これ青貝摺の器に斉い。 一足進むと、歩くに連れ、身の動くに従うて、颯と揺れ、溌と散って、星一ツ一ツ鳴るかとばかり、白銀黄金・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ それも道理、その老人は、年紀十八九の時分から一時、この世の中から行方が知れなくなって、今までの間、甲州の山続き白雲という峰に閉籠って、人足の絶えた処で、行い澄して、影も形もないものと自由自在に談が出来るようになった、実に希代な予言者だ・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・「ええ、ござりますとも、人足も通いませぬ山の中で、雪の降る時白鷺が一羽、疵所を浸しておりましたのを、狩人の見附けましたのが始りで、ついこの八九年前から開けました。一体、この泊のある財産家の持地でござりますので、仮の小屋掛で近在の者へ施し・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 村のものらもかれこれいうと聞いてるので、二人揃うてゆくも人前恥かしく、急いで村を通抜けようとの考えから、僕は一足先になって出掛ける。村はずれの坂の降口の大きな銀杏の樹の根で民子のくるのを待った。ここから見おろすと少しの田圃がある。色よ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 一二 もう、ゆう飯時だからと思って、僕は家を出で、井筒屋のかど口からちょっと吉弥の両親に声をかけておいて、一足さきへうなぎ屋へ行った。うなぎ屋は筋向うで、時々行ったこともあるし、またそこのかみさんがお世辞者だから、・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
出典:青空文庫