・・・自分の後継者であるべきものに対してなんとなく心置きのあるような風を見せて、たとえば懲しめのためにひどい小言を与えたあとのような気まずい沈黙を送ってよこした。まともに彼の顔を見ようとはしなかった。こうなると彼はもう手も足も出なかった。こちらか・・・ 有島武郎 「親子」
・・・左翼の人は僕らの眼の前で転向して、ひどいのは右翼になってしまったね。しかし僕らはもう左翼にも右翼にも随いて行けず、思想とか体系とかいったものに不信――もっとも消極的な不信だが、とにかく不信を示した。といって極度の不安状態にも陥らず、何だか悟・・・ 織田作之助 「世相」
・・・一つには今日の失敗り方が余りひど過ぎたので、自分は反抗的にもなってしまっていた。八銭のパン一つ買って十銭で釣銭を取ったりなどしてしきりになにかに反抗の気を見せつけていた。聞いたものがなかったりすると妙に殺気立った。 ライオンへ入って食事・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・ この文士、ひどく露骨で、下品な口をきくので、その好男子の編集者はかねがね敬遠していたのだが、きょうは自身に傘の用意が無かったので、仕方なく、文士の蛇の目傘にいれてもらい、かくは油をしぼられる結果となった。 全部、やめるつもりでいる・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・ 小説というものがメシよりも好きと法螺を吹いているトシちゃんは、ひどく狼狽して、「林先生って、男の方なの?」「そうだ。高浜虚子というおじいさんもいるし、川端龍子という口髭をはやした立派な紳士もいる。」「みんな小説家?」「・・・ 太宰治 「眉山」
・・・動揺がひどいだろう。飛行機の中で煙草を吸えるかしら。ゴルフパンツはいて、葡萄たべながら飛行機に乗っていると、恰好がいいだろうな。葡萄は、あれは、種を出すものなのかしら、種のまま呑みこむものなのかしら。葡萄の正しい食べかたを知りたい。などと、・・・ 太宰治 「懶惰の歌留多」
・・・それが、どうしたのかひどく折れ曲って変態仮名の※の字のようになっているのがある。トラックでも衝突したかと思われる。鉄棒がこんな目に遭うくらいだから人間にとってはあまり安全な地帯でないのである。従ってこの曲った標柱は天然自然の滑稽であり皮肉で・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・この剪定鋏はひどく捩れておりますから鍛冶に一ぺんおかけなさらないと直りません。こちらのほうはみんな出来ます。はじめにお値段を決めておいてよろしかったらお研ぎいたしましょう。」「そうですか。どれだけですか。」「こちらが八銭、こちらが十・・・ 宮沢賢治 「チュウリップの幻術」
・・・江戸趣味といわれる、着物や羽織の裏に莫大な金をかける粋ごのみ、一見木綿のようでひどく質のいい絹織である結城紬、こういうこのみは、政治上の身分制に属しながら、経済の実力では自分を主張した町人階級の反抗の形としてあらわれたのであった。 徳川・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・その地方の男の手不足のひどさが語られているとともに、バスの車掌さんではなく、運転手となった娘さんたちは、どんな一生懸命な責任を負った心持でハンドルにつかまっていることだろう。新らしい仕事でひどく気づかれしながらも、よろこびや誇りは秘かに感じ・・・ 宮本百合子 「この初冬」
出典:青空文庫