・・・実に瑣末な事柄ではあるが、これだけでもままにならぬ人世という古い標語の真実性を証するための一例にはなるのである。日曜に天気のいいという確率、家族の甲乙丙の銘々が暇だという三つの確率、この四つがそれぞれ二分の一ずつだとしても、十六分の一しか都・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・という標語を真向にかざして学者を毛嫌いする世人の少なくないのは、これらの方則の近似的な事を忘れているためである場合もある。それは別問題として、厳密な意味において普遍的な正確な方則が可能であろうか。方則というものの成り立ちが前に述べたようなも・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・北方の大阪から神戸兵庫を経て、須磨の海岸あたりにまで延長していっている阪神の市民に、温和で健やかな空気と、青々した山や海の眺めと、新鮮な食料とで、彼らの休息と慰安を与える新しい住宅地の一つであった。 桂三郎は、私の兄の養子であったが、三・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・惆悵す 東欄一樹の雪人生看得幾清明 人生 看るを得るは幾清明ぞ〕 何如璋は明治の儒者文人の間には重んぜられた人であったと見え、その頃刊行せられた日本人の詩文集にして何氏の題字や序または評語を載せないものは殆どない。 わた・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・当時私は私の作物をわるく評したものさえ、自分の担任している文芸欄へ載せたくらいですから、彼らのいわゆる同人なるものが、一度に雪嶺さんに対する評語が気に入らないと云って怒ったのを、驚ろきもしたし、また変にも感じました。失礼ながら時代後れだとも・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・Ecce homo とは、十字架に書きつけられた受難者キリストの標語であつた。ニイチェの意味に於ては、それがキリストに叛逆する標語であつた。あの中世紀の魔教サバトの徒は、耶蘇とキリスト教とを冒涜する目的から、故意に模擬の十字架を立てて裸女を・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・東京に三田あり、摂州に三田あり。兵庫の隣に神戸あれば、伊勢の旧城下に神戸あり。俗世界の習慣はとても雅学先生の意に適すべからず。貧民は俗世界の子なり。まず、骨なしの草書を覚えて廃学すればそれきりとあきらめ、都合よければ後に楷書の骨法をも学び、・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・女らしさを標語にした婦人代議士たちにしても、それはさぞうるさく迷惑なことであったろう。女は「女らしく」婦人代議士クラブというのをこしらえた。女らしく、お茶を立てて飲んだりしたが、政党間の利害は女らしさにも現実に作用して、こわれてしまった。そ・・・ 宮本百合子 「「女らしさ」とは」
・・・は、お役所などから廻ってくる印刷物に相当ムダがあって例えば“祝い終った、さあ働こう”など、全く言わでものことではないかと思います、まるで“朝になった、さあお起きよう”というのと同じことでしょう、こんな標語をレイレイしく印刷するより、もっと内・・・ 宮本百合子 「回覧板への注文」
・・・という標語を示した時、母たるドイツの勤労女性の生活苦闘の衷心からの描き手であったケーテ・コルヴィッツは、どんな心持で、この侵略軍人生産者としてだけ母性を認めたシュペングラーの号令をきいただろうか。その頃から日本権力も侵略戦争を進行させていて・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
出典:青空文庫