・・・TS君のその話を聞いて間もないある夜のこと、工業倶楽部の近くの辻でバスを待っているとどこからともなく子供を負ぶった中年男が闇の中からひょっくり現われて、浅草までの道を聞くのであった。前に逢った場合と同じように無帽で、同じような五、六歳くらい・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ それから毎日いろいろと直して変化させている間に、いつのまにかまたこの同じ大工の顔がひょっくり復帰して来るのが不思議であった。会いたくないと思ってつとめて避けている人に偶然出くわすような気がしばしばした。ある日思い切って左の頬をうんと切・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・ どうも自分というものが二人居て、絵を描いている自分のところへ、ひょっくりもう一人の自分が通りかかって、ちょうどさっきの老人のように話をしかけたのだという気がする。そうだとすると、まだ自分の知らない自分がどこかを歩いていていつひょっくり・・・ 寺田寅彦 「断片(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・郷里の中学の先輩がその負傷者の中に居たのにひょっくりめぐり合って戦争の話を聞かされ、戦争というものの不思議さをつくづく考えさせられた。 その後にまた、大湯附近の空気中のイオンを計測するために出張を命ぜられて来たときは人車鉄道が汽車の軽便・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・の心像をそこで抑圧しておくと、それがその後の付け句の場合にひょっくり浮かび上がって来て何かの材料になることもありうるであろう。 こういう事は古人の立派な連句にもありはしないかと思って、手近な、そうしてなるべく手数のかからないような範囲内・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・机の前や実験室では浮かばないようないいアイディアが電車の内でひょっくり浮き上がる場合をしばしば経験する。「三上」の三上たるゆえんの要素には、肉体の拘束から来る精神の解放というもののほかにもう一つの要件があると思われる。それはある適当な感・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・宍戸、宿直の日、小使部屋に居た そこへ女のひとが来て、喋って居るところへ、ひょっくり竹内入って来て、翌日やめさせるとか何とか云う、やはり臆病からなり。竹中、元、実業界に居た男、大正九年の暴落でつぶれ、竹内のところでごろつき、会に・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
出典:青空文庫