・・・そして単に野生の木の実を拾うような「観測」の縄張りを破って、「実験」の広い田野をそういう道具で耕し始めてからの事である。ただの「人間の言語」だけであった昔の自然哲学は、これらの道具の掘り出した「自然自身の言語」によって内容の普遍性を増して行・・・ 寺田寅彦 「言語と道具」
・・・の処方、『織留』の中に披露された「長寿法」の講習にも、その他到る処に彼一流の唯物論的処世観といったようなものが織り込まれている。 これらは、西鶴一流とは云うものの、当時の日本人、ことに町人の間に瀰漫していて、しかも意識されてはいなかった・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・ 知人の家の結婚披露の宴に出席する。宅へ帰って「お嫁さんはきれいなかたでしたか」と聞かれれば「きれいだったよ」と答える。およそ、きれいでない新婦などは有り得ないのである。しかし、どんな式服を着ていたかと聞かれると、たった今見て来たばかり・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・一座の立役者Hの子供の初舞台の披露があるためらしい。ある一つの大きな台に積上げた品物を何かとよく見るとそれがことごとく石鹸の箱入りであった。 売店で煙草を買っていると、隣の喫茶室で電話をかけている女の声が聞こえる。「猫のオルガン六つです・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・ 子供の初節句、結婚の披露、還暦の祝い、そういう機会はすべて村のバッカスにささげられる。そうしなければその土地には住んでいられないのである。 そういう家に不幸のあった時には村じゅうの人が寄り集まって万端の世話をする。世話人があまりお・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・ 道太がやや疲労を感じたころには、静かなこの廓にも太鼓の音などがしていた。三 離れの二階の寝心地は安らかであった。目がさめると裏の家で越後獅子のお浚いをしているのが、哀愁ふかく耳についた。「おはよう、おはよう」という・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・道太は少し沮げていたが、お絹がこの間花に勝っただけおごると言うので、やがて四人づれで、このごろ披露の手拭をつけられた山の裾の新らしい貸席へ飯を食べに行った。それはお絹からみると、また二た時代も古い、芸者あがりの女が出したものであった。 ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・病みあがりのような、げっそりした疲労だけがのこっていた。彼女と別れてすたすた戻ってきてから二三日は唖のようにだまって、家の軒下で竹びしゃくを作っていた。 ある夕方、深水がきて、高島が福岡へ発つから、今夜送別会をやるといいにきて、「と・・・ 徳永直 「白い道」
・・・いつもより一層遠く柔に聞えて来る鐘の声は、鈴木春信の古き版画の色と線とから感じられるような、疲労と倦怠とを思わせるが、これに反して秋も末近く、一宵ごとにその力を増すような西風に、とぎれて聞える鐘の声は屈原が『楚辞』にもたとえたい。 昭和・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・その後には二枚折の屏風に、今は大方故人となった役者や芸人の改名披露やおさらいの摺物を張った中に、田之助半四郎なぞの死絵二、三枚をも交ぜてある。彼が殊更に、この薄暗い妾宅をなつかしく思うのは、風鈴の音凉しき夏の夕よりも、虫の音冴ゆる夜長よりも・・・ 永井荷風 「妾宅」
出典:青空文庫