・・・ この文化的日本の銀座の舗道の上に、びしょびしょにぬれて投げ出された数株の菱を見て、若い日の故郷の田舎の水辺の夢を思い出す人は、自分らばかりではないと見える。 神代からなる蒲の穂や菱の浮き葉は、やはり今でも日本にあるにはあるのである・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・三四人、赤い布をかぶった女も下りたが、忽ち散ってしまって、日本女は自分の前に雨びしょびしょの暗い交叉点、妙な空地、その端っこに線路工夫の小舎らしい一つの黄色い貨車を見た。その屋根でラジオのアンテナが濡れながら光っている。空地の濡れた細い樹の・・・ 宮本百合子 「三月八日は女の日だ」
・・・軒下へ犬小舎を置いてやらない主人は、雨が一日びしょびしょ降りつづいても、小舎を雨ざらしの門傍に出したままだ。坂からの傾斜があるから、泥水はどしどし門内に流れ込む。粘土が泥濘になる。小舎の敷藁――若しあるとして――もぐちょぐちょであろう。斑の・・・ 宮本百合子 「吠える」
出典:青空文庫