・・・ぼくたちをおくとすぐまた出かけて行った橋本のおじさんが、びっしょりぬれてどろだらけになって、人ちがいするほど顔がよごれて帰って来たころには、夜がすっかり明けはなれて、ぼくの家の所からは黒いけむりと白いけむりとが別々になって、よじれ合いながら・・・ 有島武郎 「火事とポチ」
・・・驚いて猿臂を伸し、親仁は仰向いて鼻筋に皺を寄せつつ、首尾よく肩のあたりへ押廻して、手を潜らし、掻い込んで、ずぶずぶと流を切って引上げると、びっしょり舷へ胸をのせて、俯向けになったのは、形も崩れぬ美しい結綿の島田髷。身を投げて程も無いか、花が・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・と驚いたが、抱く手の濡れるほど哀れ冷汗びっしょりで、身を揉んで逃げようとするので、さては私だという見境ももうなくなったと、気がついて悲しくなった。「しっかりしておくれ、お米さん、しっかりしておくれよ、ねえ。」 お米はただ切なそうに、・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・「まあ、汗びっしょり。」 と汚い病苦の冷汗に……そよそよと風を恵まれた、浅葱色の水団扇に、幽に月が映しました。…… 大恩と申すはこれなのです。―― おなじ年、冬のはじめ、霜に緋葉の散る道を、爽に故郷から引返して、再び上京した・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・小宮山さんと一所だと言う、体は雨に濡れてびっしょり絞るよう、話は後からと早速ここへ連れて来たが、あの姿で坐っていた、畳もまだ湿っているだろうよ。」 と篠田はうろうろしてばたばた畳の上を撫でてみまする。この様子に小宮山は、しばらく腕組をし・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・女の長い、黒い頭髪がびっしょりと水にぬれて、月の光に輝いていたからであります。女は箱の中から、真っ赤なろうそくを取り上げました。そして、じっとそれに見入っていましたが、やがて金を払って、その赤いろうそくを持って帰ってゆきました。 おばあ・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
・・・女の長い黒い頭髪がびっしょりと水に濡れて月の光に輝いていたからであります。女は箱の中から、真赤な蝋燭を取り上げました。そして、じっとそれに見入っていましたが、やがて銭を払ってその赤い蝋燭を持って帰って行きました。 お婆さんは、燈火のとこ・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
・・・ その夜、小沢は土砂降りの雨にびっしょり濡れながら、外語学校の前の焼跡の道を東へ真直ぐ、細工谷町の方へ歩いていた。 夜更けのせいか、雨のせいか、人影はなかった。バラック一つ建っていない、寂しい、がらんとした道だった。 しかし、上・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・ギンはちっとも寝ないで、夜が明けるのをまっていました。そしてやっとのこと空があかるくなると、いそいで湖水へ出ていきました。すると、間もなく雨がふって来ました。ギンはびっしょりになったまま、また夕方まで立っていました。けれども女の人はちょっと・・・ 鈴木三重吉 「湖水の女」
・・・戸石君と二人でやって来る事もあったし、また、雨にびっしょり濡れてひとりでやって来た事もあった。また、他の二高出身の帝大生と一緒にやって来た事もあった。三鷹駅前のおでん屋、すし屋などで、実にしばしば酒を飲んだ。三田君は、酒を飲んでもおとなしか・・・ 太宰治 「散華」
出典:青空文庫