・・・これらの場合を総括するに、いずれもかつてポアンカレーの述べしごとく「原因の微分的変化が結果の有限変化を生ずる場合」に当るを見る。自然現象予報の可能程度を論ずる際に忘るべからざる標準の一つはここに係る。後に更に実地問題につきて述ぶる事とせん。・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・暗はいっさいであって明は微分である。悲観する人はここに至って自棄する。微分を知っていっさいを知らざれば知るもなんのかいあらんやと言って学問をあざけり学者をののしる。 人間とは一つの微分である。しかし人知のきわめうる微分は人間にとっては無・・・ 寺田寅彦 「知と疑い」
・・・ フランスの文学美術書が科学書といっしょに露店式に並べてある所がある、シャバンヌやロダンが微分積分と雑居してそれにずいぶんちりが積もっている事もある。それはいいがその隣にガラスの蔽蓋をして西洋向きの日本書を並べたのがある。あれを見ると自・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・しかしあらゆる可能な漫画家を一団として見る時には、各画家を微分とした無限項の和としての積分は渾然たる一つの定まった極限値を有する「真の」一面と考えるに不都合があるだろうか。 科学上の真を言明するために使用する言語や記号は純化され洗煉され・・・ 寺田寅彦 「漫画と科学」
・・・しかもその美的法則の構成には、非常に複雑な微分数的計算を要するので、あらゆる町の神経が、非常に緊張して戦いていた。例えばちょっとした調子はずれの高い言葉も、調和を破るために禁じられる。道を歩く時にも、手を一つ動かす時にも、物を飲食する時にも・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
紀行文をどう書いたら善いかという事は紀行の目的によって違う。しかし大概な紀行は純粋の美文的に書くものでなくてもやはり出来るだけ面白く書こうとする即美文的に書こうとする、故に先ず面白く書くという事はその紀行全部の目的でなくても少くも目的・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・恨むらくは彼は一篇の文章だも純粋の美文として見るべきものを作らざりき。 蕪村の俳句は今に残りしもの一千四百余首あり、千首の俳句を残したる俳人は四、五人を出でざるべし。蕪村は比較的多作の方なり。しかれども一生に十七字千句は文学者として珍と・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・文章に調子がつくと作者はよみ下し易い美文めいたリズムにのるのである。たとえば「絶望があった。断崖に面した時のような絶望が。憤激があった。押えても押えてもやり切れぬ憤激が。惨めさがあった。泣いても泣いても泣き切れぬ惨めさが。恩愛も、血縁も、人・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・その旗頭としての日本ロマン派の人々の文章の特徴は、全く美文調、詠歎調であって、今日では保守な傾きの国文研究者でさえ一応はそれを行っている文学作品の背景としての歴史的の時代考察、文学の環境の分析等は除外されていることに注目をひかれる。 明・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 自然主義文学の動きは、硯友社的美文で造り上げられた現実を文学から追放して、もっとむき出しの、教養以前或は七重の教養を八重に引剥いだその底の人間性と真正面から取組もうとした、一応の教養を否定する教養に立っておこったわけであった。 と・・・ 宮本百合子 「作家と教養の諸相」
出典:青空文庫