・・・まったく去来を相手にせず、ぴしゃりと心の扉を閉ざしてしまった。多少怒っている。カチンと堅い句だ。石ころみたいな句である。旋律なく修辞のみ。 魚の骨しはぶるまでの老を見て 芭蕉がそれに続ける。いよいよ黒っぽくなった。一座の空気が陰・・・ 太宰治 「天狗」
・・・ちょっとあきかけても、またぴしゃりとしまる。四、五度もみ合っているうちに、がたりと襖がはずれて私たち三人は襖と一緒にどっと三畳間に雪崩れ込んだ。先生は倒れる襖を避けて、さっと壁際に退いてその拍子に七輪を蹴飛ばした。薬鑵は顛倒して濛々たる湯気・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・前編でも同じ人が弟の横顔をぴしゃりとたたくところも同様に、ちゃんと生きた魂がはいっている。 隣の大将が食卓でオール・ドゥーヴルを取ってから上目で給仕の女中の顔をじろりと見る、あの挙動もやはり「生きてはたらきかける」ものをもっている。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・鴉が下りて来て牛の脊中の赤い紙を牛肉と思ってつつくと、牛は蠅でも追う気でぴしゃりと尻尾ではたく、すると摺粉木の一撃で鴉が脆くも撲殺されるというのである。 これらの話は、柳家小さんの落語のごとく、クライスラーのクロイツェルソナタのごとく実・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・と圭さんは、両足を湯壺の中にうんと踏ん張って、ぎゅうと手拭をしごいたと思ったら、両端を握ったまま、ぴしゃりと、音を立てて斜に膏切った背中へあてがった。やがて二の腕へ力瘤が急に出来上がると、水を含んだ手拭は、岡のように肉づいた背中をぎちぎち磨・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・そうして例のガウンの袖口に着いている黄色い紐を引張って、一尺程の長さを拵らえて置いて、それでぴしゃりぴしゃりと机の上を敲いたものである。 当時余はほんの小供であったから、先生の学殖とか造詣とかを批判する力はまるでなかった。第一先生の使う・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・ 誰が覗いていたのか、障子をぴしゃりと外から閉てた者がある。「あら、誰か覗いてたよ」と、お梅が急いで障子を開けると、ぱたぱたぱたぱたと廊下を走る草履の音が聞えた。「まア」と、お梅の声は呆れていた。 四「ど・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・改札口がぴしゃりと閉る。同時であった。藍子は二分のことで乗りおくれたのであった。それでも彼女は、「北條行もう出ましたか」と、改札口を去ろうとする駅員に念を押した。「出ました。この次は銚子行、七時二十分」 それは、旅行案内で藍・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・ 女の子が笑うと、彼は調子づいてなお強く自分の頭をぴしゃりぴしゃりと叩いていった。すると、女の子も、「た、た。」といいながら自分の頭を叩き出した。 しかし、いつまでもそういう遊びをしているわけにはいかなかった。灸は突然犬の真似をした・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・と同時に安次の弱さに腹の底から憎悪を感じると、彼の掌はいきなり叩頭している安次の片頬をぴしゃりと打った。「しっかり、養生しやれ。」 秋三は嘲弄した微笑を勘次に投げた。「ええか、頼んだぞ。」と彼は云うと、威勢好く表へ立った。 ・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫