・・・佐竹はしずかに腕を伸ばして吸いかけの煙草の火を山猫の鼻にぴたっとおしつけた。そうして佐竹の姿は巖のように自然であった。 三 登竜門ここを過ぎて、一つ二銭の栄螺かな。「なんだか、――とんでもない雑誌だそうで・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・心配のたねの引き出しを順々にあけて、ちらと一目調べてみて、すぐにぴたっとしめて、そうして、眠るの。これ、なかなか健康にいいのよ。どうだい、あたしにだって、相当の哲学があるだろう。」「ありがとう。数枝。あなたは、いいひとね。」 数枝は・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・けれどとうとうあんまり弟が泣くもんだから、自分も怖くなったと見えて口がピクッと横の方へまがった、そこで僕は急に気の毒になって、丁度その時行く道がふさがったのを幸に、ぴたっとまるでしずかな湖のように静まってやった。それから兄弟と一緒に峠を下り・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ものは、みんな天の川の砂が凝って、ぼおっとできるもんですからね、そして始終川へ帰りますからね、川原で待っていて、鷺がみんな、脚をこういう風にして下りてくるとこを、そいつが地べたへつくかつかないうちに、ぴたっと押えちまうんです。するともう鷺は・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・いままで五時五十分を指していた長い針が俄かに電のように飛んで、一ぺんに六時十五分の所まで来てぴたっととまりました。「何だ、この時計、針のねじが緩んでるんだ。」 赤シャツの農夫は大声で叫んで立ちあがりました。みんなもも一度わらいました・・・ 宮沢賢治 「耕耘部の時計」
・・・ いきなり本線シグナルつきの電信柱が、むしゃくしゃまぎれに、ごうごうの音の中を途方もない声でどなったもんですから、シグナルはもちろんシグナレスも、まっ青になってぴたっとこっちへ曲げていたからだを、まっすぐに直しました。「若さま、さあ・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
・・・それにどうしてもぴたっと外の楽器と合わないもなあ。いつでもきみだけとけた靴のひもを引きずってみんなのあとをついてあるくようなんだ、困るよ、しっかりしてくれないとねえ。光輝あるわが金星音楽団がきみ一人のために悪評をとるようなことでは、みんなへ・・・ 宮沢賢治 「セロ弾きのゴーシュ」
・・・しばらくすると理助はぴたっととまりました。それから私をふり向いて私の腕を押えてしまいました。「さあ、見ろ、どうだ。」 私は向うを見ました。あのまっ赤な火のような崖だったのです。私はまるで頭がしいんとなるように思いました。そんなにその・・・ 宮沢賢治 「谷」
・・・いよいよ今日は歩いてもだめだと学士はあきらめてぴたっと岩に立ちどまりしばらく黒い海面と向うに浮ぶ腐った馬鈴薯のような雲を眺めていたが、又ポケットから煙草を出して火をつけた。それからくるっと振り向いて陸の方・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・ ヒルガードは一礼して脱兎のように壇を下りただ一つあいた席にぴたっと座ってしまいました。「やられたな、すっかりやられた。」陳氏は笑いころげ哄笑歓呼拍手は祭場も破れるばかりでした。けれども私はあんまりこのあっけなさにぼんやりしてしまい・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫