・・・ではない。ざっと周囲を見渡した所、僕の知っている連中でも大抵は何かを恐れている。勿論外見は恐れてはいない。内見も――内見と言う言葉はないかも知れない。では夫子自身にさえ己は無畏だぞと言い聞かせている。しかしやはり肚の底には多少は何かを恐れて・・・ 芥川竜之介 「出来上った人」
・・・たゞちに生活の喜びであり、また、反抗、諷刺である。いかなる有名の詩人が、これ以上の表現をなし得たであろうか? いかなる天才が、これに優れる素朴の技巧を有したであろうか? 巧まずしてしかも、鋭敏。彼等が、これを口ずさむ時は、生活の肯定であった・・・ 小川未明 「常に自然は語る」
・・・彼等は金儲けのためには義理人情もない云々と書き立て、――それに比べると川那子丹造鑑製の薬は……と、ごたくを並べ、甚しきは医者に鬼の如き角を生やした諷刺画まで掲載し、なお、飽き足らずに「売薬業者は嘘つきの凝結」などと、同業者にまで八つ当った…・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・が乗客はまだいずれも雪国らしいぎょうさんな風姿をしている。藁沓を履いて、綿ネルの布切で首から頭から包んだり、綿の厚くはいった紺の雪袴を穿いたり――女も――していた。そして耕吉の落着先きを想わせ、また子供の時分から慣れ親しんできた彼には、言い・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ 人間は宿命的に利己的であると説くショウペンハウァーや、万人が万人に対して敵対的であるというホップスの論の背後には、やはり人間関係のより美しい状態への希求と、そして諷刺の形をとった「訴え」とがあるのである。 その意味において書物とは・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・だから反言や、風刺や、暴露の微塵もないこの作が甘く見えるのはもっともである。 人間が読んで、殊に若い人たちが読んでいつまでも悪いことはない、きっとその心を素純にし、うるおわせ、まっすぐにものを追い求める感情を感染させるであろうと今でも私・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・喜劇を書いても、諷刺文学を書いても、それで、人をおかしがらせたり、面白がらせたりする意図で書くのでは、下らない。悲劇になる、痛切な、身を以て苦るしんだ、そのことを喜劇として表現し、諷刺文学として表現して、始めて、価値がある。殊に、モリエール・・・ 黒島伝治 「愛読した本と作家から」
・・・日によっては速記者も、おのずから襟を正したくなるほど峻厳な時局談、あるいは滋味掬すべき人生論、ちょっと笑わせる懐古談、または諷刺、さすがにただならぬ気質の片鱗を見せる事もあるのだが、きょうの話はまるで、どうもいけない。一つとして教えられると・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・来月号を飾らせていただきたく、お礼如此御座候。諷刺文芸編輯部、五郎、合掌。」 月日。「お手紙さしあげます。べつに申しあげることもないのでペンもしぶりますが読んでいただければ、うれしいと思います。自分勝手なことで大へんはずかしく思・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・私もまたヴァイオリンよりヴァイオリンケエスを気にする組ゆえ、馬場の精神や技倆より、彼の風姿や冗談に魅せられたのだというような気もする。彼は実にしばしば服装をかえて、私のまえに現われる。さまざまの背広服のほかに、学生服を着たり、菜葉服を着たり・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
出典:青空文庫