・・・いわゆる定常波もこの中に含まれてもいいわけであるが、この動的なそうしてすでによく知られて研究し尽くされた波形はしばらく別物として取り除いて、ここではそれ以外の natural, staticallyを含むイマジナリーな部分から成る拡散現象で・・・ 寺田寅彦 「自然界の縞模様」
・・・は詠嘆の意を含む終止符であるから普通の意味でも切れる切れ字には相違ないが、また一方では、もう一度繰り返して初五字を呼び出す力をもっている。そういう意味で終わりの五字と最初の五または五七とを対立させる機能をもっており、従って「や」と同等である・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・それにも係わらず、多数の日数を含む統計的素材を統計的に取り扱う場合には、これらの個々の場合は問題とならず、ただ平均の関係だけが結果として現われるであろう。降雨のほうでは、全雨量の平均幾割幾分が開場時間に落ちるかが定まり、また外出する市民の平・・・ 寺田寅彦 「物質群として見た動物群」
・・・その他幻のごとき殿宇は煤を含む雲の影の去るに任せて隠見す。「倫敦の方」とはすでに時代後れの話である。今日チェルシーに来て倫敦の方を見るのは家の中に坐って家の方を見ると同じ理窟で、自分の眼で自分の見当を眺めると云うのと大した差違はない。し・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・御辞儀などはほんの一例ですが、すべて倫理的意義を含む個人の行為が幾分か従前よりは自由になったため、窮屈の度が取れたため、すなわち昔のように強いて行い、無理にもなすという瘠我慢も圧迫も微弱になったため、一言にして云えば徳義上の評価がいつとなく・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・ もっとも文芸と云うものは鑑賞の上においても、創作の上においても、多少の抽出法を含むものであります。その極端に至ると妙な現象が生じます。たとえば、かの裸体画が公々然と青天白日の下に曝されるようなものであります。一般社会の風紀から云うと裸・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・巨人の椎を下すや四たび、四たび目に巨人の足は、血を含む泥を蹴て、木枯の天狗の杉を倒すが如く、薊の花のゆらぐ中に、落雷も耻じよとばかりどうと横たわる。横たわりて起きぬ間を、疾くも縫えるわが短刀の光を見よ。吾ながら又なき手柄なり。……」ブラヴォ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・或一民族が自己自身の中に世界的世界形成の原理を含むことによって始めてそれが真の国家となる。而してそれが道徳の根源となる。国家主義と単なる民族主義とを混同してはならない。私の世界的世界形成主義と云うのは、国家主義とか民族主義とか云うものに反す・・・ 西田幾多郎 「世界新秩序の原理」
・・・しかし真にそれ自身によってあるものは、自己自身において他を含むもの、自己否定を含むものでなければならない。一にして無限の多を含むものでなければならない、即ち自ら働くものでなければならない。然らざれば、それは自己自身によってあるものとはいわれ・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・仮令い或は表面に衝突せざるも、内心相互に含む所ありて打解けざるは、日本国中の毎家殆んど普通と言うも可なり。天下の姑悉皆悪婦にあらず、天下の嫁悉皆悪女子にあらざるに、其人柄の良否に論なく其間の概して穏ならざるは、畢竟人の罪に非ず勢の然らしむる・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
出典:青空文庫