・・・ 子供の時、弟と一緒に寝たりなどすると、彼はよくうつっ伏せになって両手で墻を作りながら「芳雄君。この中に牛が見えるぜ」と言いながら弟をだました。両手にかこまれて、顔で蓋をされた、敷布の上の暗黒のなかに、そう言えばたくさんの牛や馬の姿・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・顔を伏せている子守娘が今度こちらを向くときにはお化けのような顔になっているのじゃないかなど思うときがあった。――しかし待っていた為替はとうとう来た。自分は雪の積った道を久し振りで省線電車の方へ向った。 二 お茶の水か・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・ 簿記函と書た長方形の箱が鼠入らずの代をしている、其上に二合入の醤油徳利と石油の鑵とが置てあって、箱の前には小さな塗膳があって其上に茶椀小皿などが三ツ四ツ伏せて有る其横に煤ぼった凉炉が有って凸凹した湯鑵がかけてある。凉炉と膳との蔭に土鍋・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・「山に登らせたまひしより、明けても暮れても床しさは心を砕きつれども、貴き道人となしたてまつる嬉しやと思ひしに、内裏の交りをし、紫甲青甲に衣の色をかへ、御布施の物とりたまひ候ほどの、名聞利養の聖人となりそこね給ふ口惜さよ。夢の夜に同じ迷ひ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・井村は、眼を伏せて、溜息をして、松ツァンの傍を病院の方へ通りぬけた。「市三、別条なかったかな?」 不安に戦慄した松ツァンの声が井村の背後で、又、あとから来る担架に繰りかえされた。「…………」 そこでも、坑夫は、溜息をついて、・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・これに対して下坐に身を伏せて、如何にもかしこまり切っている女は、召使筋の身分の故からというばかりでは無く、恐れと悲しみとにわなわなと顫えているのは、今下げた頭の元結の端の真中に小波を打っているのにも明らかであり、そして訴願の筋の差逼った情に・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・俺は急いで鏡を机の上に伏せてしまった。 雑役が用事の最後に、ニヤ/\笑いながら云った。「お前さん今度が初めてだね。これで一通りの道具はちゃアんと揃ってるもんだろう。これからこの室が長い間のお前さんのアパアトになるわけさ。だから、自分・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・そして、そこに土管が伏せられるとか、ここに石垣の石が運ばれるとか、何かしらずつ変ったものが先生の眼に映った。河原続きの青田が黄色く成りかける頃には、先生の小さな別荘も日に日に形を成して行った。霜の来ないうちに早くと、崖の上でも下でも工事を急・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ その時、大学生の青木が、布施という友達と一緒に、この茶店へ入って来た。「やあ」という声は双方から一緒に出た。相川の周囲は遽然賑かに成った。「原君、御紹介しましょう」と相川は青木の方を指して、「青木君――大学の英文科に居られる」・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・ とおかあさんは道のわきに行って、草むらと草むらとの間の沼の中へ身を伏せて心の底からいのりました。 その時ひびきを立てて、海から大風が来て森の中をふきぬけました。この大きな神風にあっては森の中の木という木はみななびき伏しました。その・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
出典:青空文庫