・・・しかし一方ではまた彼が不治の病気を自覚して死に所を求めていたに過ぎないのだと言い、あるいは一種の気違いの所業だとして簡単に解釈をつけ、そうしてこの所業の価値を安く踏もうとする人もあるであろう。そういう見方にも半面の真理はあるかもしれない。そ・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・それである一つの歌と次の歌とが表面上関係はないようでも、それから少し下層へ掘込んで行くとどこかで、しっかり必然的につながっているように思われ、それを掘込んで行くときに結局不知不識に自分自身の体験の世界に分け入ってその世界の中でそれに相当する・・・ 寺田寅彦 「書簡(2[#「2」はローマ数字2、1-13-22])」
・・・隣の琴の音が急になって胸をかき乱さるるような気がする。不知不識其方へと路次を這入ると道はいよいよ狭くなって井戸が道をさえぎっている。その傍で若い女が米を磨いでいる。流しの板のすべりそうなのを踏んで向側へ越すと柵があってその上は鉄道線路、その・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・もし不治と云えばその病人の口を蒸して殺してしまう。そして親類中が寄ってその死体を料理して御馳走になる云々。 役人や会社銀行員があるただ一人の長上から無能と宣言されただけで首をきられる。するとその下の地位にいる同僚達は順繰りに昇進してみん・・・ 寺田寅彦 「マルコポロから」
・・・それから気が付いて考えてみると、近頃少し細かい字を見る時には、不知不識眼を細くするような習慣が生じているのであった。 去年の夏子供が縁日で松虫を買って来た。そして縁側の軒端に吊しておいた。宵のうちには鈴を振るような音がよく聞こえたが、し・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・それは、第一には父の春田が当時不治の病気にかかっていた事である。私は海外へ出ていてほとんど何事も知らずにいたが、日記を見るとそれに関する亮の煩悶のようなものがいくらかうかがわれる。四十二年十一月七日のには、「……近ごろ身内のものから手紙・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・この町でも別にいいというほどの庭ではなかったけれど、乾いた頭脳には、じじむさいような木石の布置が、ことに懐かしく映るのであった。「少し手入れをするといいんですけれど」辰之助はそう言って爪先に埃のついた白足袋を脱いでいたが、彼も東京で修業・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ ○ 千葉街道の道端に茂っている八幡不知の藪の前をあるいて行くと、やがて道をよこぎる一条の細流に出会う。 両側の土手には草の中に野菊や露草がその時節には花をさかせている。流の幅は二間くらいはあるであろう。通・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・お稲荷様も御扶持放れで、油揚の臭一つかげねえもんだから、お屋敷へ迷込んだげす。訳ア御わせん。手前達でしめっちまいやしょう。」 鳶の清五郎は小屋の傍まで、私を脊負って行って呉れた。 今朝方、暁かけて、津々と降り積った雪の上を忍び寄り、・・・ 永井荷風 「狐」
・・・されば日常の道徳も不知不識の間に儒教に依って指導せられることが少くない。 儒教は政治と道徳とを説くに止って、人間死後のことには言及んでいない。儒教はそれ故宗教の域に到達していないものかも知れない。しかしこの問題については、わたくしは確乎・・・ 永井荷風 「西瓜」
出典:青空文庫