・・・その主権者として、封建時代の数百年小大名より僅かな扶持を幕府から支給されて生活して来た京都の天皇一家を招待して来た。明治支配者の利害を共にするために天皇の一家も大地主となり、大財閥に勝るとも劣らない大資本家となった。所有土地百三十五万町歩、・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・井原は切米三人扶持十石を取っていた。切腹したとき阿部弥一右衛門の家隷林左兵衛が介錯した。田中は阿菊物語を世に残したお菊が孫で、忠利が愛宕山へ学問に往ったときの幼な友達であった。忠利がそのころ出家しようとしたのを、ひそかに諫めたことがある。の・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ 某は当時退隠相願い、隈本を引払い、当地へ罷越候えども、六丸殿の御事心に懸かり、せめては御元服遊ばされ候まで、よそながら御安泰を祈念致したく、不識不知あまたの幾月を相過し候。 然るところ去承応二年六丸殿は未だ十一歳におわしながら、越・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・留守へは扶持が下がる。りよはお許は出ても、敵を捜しには旅立たぬことになって見れば、これで未亡人とりよとの、江戸での居所さえ極めて置けば、九郎右衛門、宇平の二人は出立することが出来るのである。 りよは小笠原邸の原田夫婦が一先引き取ることに・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・陸を行けば、じき隣の越中の国に入る界にさえ、親不知子不知の難所がある。削り立てたような巌石の裾には荒浪が打ち寄せる。旅人は横穴にはいって、波の引くのを待っていて、狭い巌石の下の道を走り抜ける。そのときは親は子を顧みることが出来ず、子も親を顧・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・ るんはこれから文化五年七月まで、三十一年間黒田家に勤めていて、治之、治高、斉隆、斉清の四代の奥方に仕え、表使格に進められ、隠居して終身二人扶持を貰うことになった。この間るんは給料の中から松泉寺へ金を納めて、美濃部家の墓に香華を絶やさな・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・そこで女房は夫のもらう扶持米で暮らしを立ててゆこうとする善意はあるが、ゆたかな家にかわいがられて育った癖があるので、夫が満足するほど手元を引き締めて暮らしてゆくことができない。ややもすれば月末になって勘定が足りなくなる。すると女房が内証で里・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
・・・これは私の手紙としては、最長い手紙で、世間で不治の病と云うものが必ず不治だと思ってはならぬ、安心を得ようと志すものは、病のために屈してはならぬと云うことを、譬喩談のように書いたものであった。私は安国寺さんが語学のために甚だしく苦しんで、その・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫