・・・出動部隊は近衛師団、第一師団のほか、地方の七こ師団以下合計九こ師団の歩兵聯隊にくわえて、騎兵、重砲兵、鉄道等の各聯隊、飛行隊の外、ほとんど全国の工兵大隊とで、総員五万一千、馬匹一万頭。それが全警備区に配分されて、配給や救護や、道路、橋の修理・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・すると彼奴め、兵を乗せる車ではない、歩兵が車に乗るという法があるかとどなった。病気だ、ご覧の通りの病気で、脚気をわずらっている。鞍山站の先まで行けば隊がいるに相違ない。武士は相見互いということがある、どうか乗せてくれッて、たって頼んでも、言・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・オランダ人で伝法肌といったような男がシェンケから大きな釣り針を借りて来てこれに肉片をさし、親指ほどの麻繩のさきに結びつけ、浮標にはライフブイを縛りつけて舷側から投げ込んだ。鱶はつい近くまで来てもいっこう気がつかないようなふうでゆうゆうと泳い・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ 液体静力学の実験例えば浮秤で水や固体の比重を測る時でも、毛管現象が如何に多大の影響を有するかという事を見せるために、液面に石鹸の片を触れて比重系の浮上がる様を見せる事なども必要と思う。あるいは夏季水道の水を汲んだままで実験していると溶・・・ 寺田寅彦 「物理学実験の教授について」
・・・各種の網糸の強弱弾性やその温度湿度によっての変化とか、網に付ける浮標の浮力、浸水の度やその耐圧度とか、あるいは網面に当る潮流の抵抗の研究とか、いずれも物理学、力学の応用によって解決せらるべき問題である。次に太陽や燈火の光が海中に入り込む程度・・・ 寺田寅彦 「物理学の応用について」
・・・徳川幕府が仏蘭西の士官を招聘して練習させた歩兵の服装――陣笠に筒袖の打割羽織、それに昔のままの大小をさした服装は、純粋の洋服となった今日の軍服よりも、胴が長く足の曲った日本人には遥かに能く適当していた。洋装の軍服を着れば如何なる名将といえど・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・、何べん叱られてもあのあぶない瀬の処に行っていて、この人の形を遠くから見ると、遁げてどての蔭や沢のはんのきのうしろにかくれるものですから、この人は町へ行って、もう一人、人を雇うかそうでなかったら救助の浮標を浮べてもらいたいと話しているという・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・散々不評だった下條文相をやめさせるきっかけに、吉田首相は法隆寺失火責任を負わせ、火事は政治漫画をくりひろげた。政府や文部委員会が、こんどの議会で現実に解決する能力のないこんにちの教育問題から逃げる楯として、国宝再認識問題を過度に利用しないよ・・・ 宮本百合子 「国宝」
・・・種子島へ来た鉄砲をどっさり買い込んで、自分の歩兵を武装させ機動的な戦争の方法を組織したのは信長であった。信長が、分裂していた支配権力を一応自分に集中することが出来たのは、彼の賢によってであった。彼がポルトガルから渡来した近代武器の威力を理解・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・武装を調えた第三十五連隊の歩兵、大きな電線の束と道具袋を肩にかけた工夫の大群。乗客がいつもの数十倍立てこんだ上、皆な気が立った者ばかりだから、その混雑した有様は言葉につくせない。誰も自分の足許をしっかり見ているものなどはなく、又、押し押され・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
出典:青空文庫