・・・岸に近く、船宿の白い行灯をうつし、銀の葉うらを翻す柳をうつし、また水門にせかれては三味線の音のぬるむ昼すぎを、紅芙蓉の花になげきながら、気のよわい家鴨の羽にみだされて、人けのない廚の下を静かに光りながら流れるのも、その重々しい水の色に言うべ・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・そのまた欄干の続いた外には、紅い芙蓉が何十株も、川の水に影を落している。僕は喉が渇いていたから、早速その酒旗の出ている家へ、舟をつけろと云いつけたものだ。「さてそこへ上って見ると、案の定家も手広ければ、主の翁も卑しくない。その上酒は竹葉・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・自分は現在蟇口に二三円しかなかったから、不用の書物を二冊渡し、これを金に換え給えと云った。青年は書物を受け取ると、丹念に奥附を検べ出した。「この本は非売品と書いてありますね。非売品でも金になりますか?」自分は情ない心もちになった。が、とにか・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・ 枕に沈める横顔の、あわれに、貴く、うつくしく、気だかく、清き芙蓉の花片、香の煙に消ゆよとばかり、亡き母上のおもかげをば、まのあたり見る心地しつ。いまはハヤ何をかいわむ。「母上。」 と、ミリヤアドの枕の許に僵れふして、胸に縋りて・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・今では不用物だから、子供の大きくなるまでと言ってしまい込んであるが、その色は今も変らないで、燃えるような緋縮緬には、妻のもとの若肌のにおいがするようなので、僕はこッそりそれを嗅いで見た。「今の妻と吉弥とはどちらがいい?」と言う声が聴える・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・こわれた道具や、不用のがらくたを買ってくれというのでした。「はい、はい。」といって、おじいさんは、一つ一つ、その品物に目を通しました。「この植木鉢も、持っていってくださいませんか。」と、おかみさんらしい人がいいました。 それは、・・・ 小川未明 「おじいさんが捨てたら」
・・・宿の方でも不要心だと思うにちがいない。それを押して、病気だからと事情をのべて頼みこむ、――まずもって私のような気の弱い者には出来ぬことだ。それに、ほかの病気なら知らず、肺がわるいと知られるのは大変辛い。 もうひとつ、私の部屋の雨戸をあけ・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・日本の伝統的小説にもいいところがあり、新しい外国の文学にもいいところがあり、二者撰一という背水の陣は不要だという考え方もあろうが、しかし、あっちから少し、こっちから少しという風に、いいところばかりそろえて、四捨五入の結果三十六相そろった模範・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・そしてもはや私は彼にとっては、不用な人間だ。彼は二三度、私を洲崎に遊びに伴れて行ってくれた。そしてあるおでん屋の女に私を紹介した。それは妖婦タイプの女として、平生から彼の推賞している女だ。彼はその女と私とを突合わして、何らかの反応を検ようと・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・この三円も不用いよ」と投げだして「最早私も決して来ないし、今蔵も来ないが可い、親とも思うな、子とも思わんからと言っておくれ!」 非常な剣幕で母は立ち去り、妻はそのまま泣伏したのであった。 自分は一々聴き終わって、今の自分なら、「・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
出典:青空文庫