・・・私は肝をつぶし、そしてカッとなりましたが、その腹の虫を押えるために飲んだ酒と花代で、私が白浜から持ってきた金はほとんどなくなってしまい、ふらふらと桔梗屋を出たのは、あくる日の黄昏前だった。私は太左衛門橋の欄干に凭れて、道頓堀川の汚い水を眺め・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・頭が痛んでふらふらする。胸はいつでもどきん/\している。…… と云って彼は何処へも訪ねて行くことが出来ないので、やはり十銭持つと、Kの渋谷の下宿へ押かけて行くほかなかった。Kは午前中は地方の新聞の長篇小説を書いて居る。午後は午睡や散歩や・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ 彼は慣れぬ腰つきのふらふらする恰好を細君に笑われながら、肩の痛い担ぎ竿で下の往来側から樋の水を酌んでは、風呂を立てた。睡れずに過した朝は、暗いうちから湿った薪を炉に燻べて、往来を通る馬子の田舎唄に聴惚れた。そして周囲のもの珍しさから、・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・するとあんまり一生懸命になるもんだから足許が変に便りなくなって来る。ふらふらっとして実際崖から落っこちそうな気持になる。はっは。それくらいになると僕はもう半分夢を見ているような気持です。すると変なことには、そんなとき僕の耳には崖路を歩いて来・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ 主人は最後の酒杯をじっと見ていたが、その目はとろんこになって、身体がふらふらしている。『やっぱり四合かな。』 三人とも暫時無言。外面はしんとして雨の音さえよくは聞こえぬ。『お前さん薬が利いたじゃアないか。』『ハハハハハ・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・ 落葉を踏んで頂に達し、例の天主台の下までゆくと、寂々として満山声なきうちに、何者か優しい声で歌うのが聞こえます、見ると天主台の石垣の角に、六蔵が馬乗りにまたがって、両足をふらふら動かしながら、目を遠く放って俗歌を歌っているのでした。・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・ だが、中隊長は、彼を休ませようとはしなかった。「おい行くんだ。もっとよく探して見ろ!」 ふらふら歩いていた松木は、疲れた老馬が鞭のために、最後の力を搾るように、また、銃を引きずって、向うへ馳せ出した。「おい、松木!」中隊長・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・と言いながら、ふらふらと立ち上って、長いすの上に横になるなりもうすやすやと寝入ってしまいました。 王子は今晩はその手にのるものかと思いながら、テイブルに両ひじをついて、たかのように目を光らせて、一生けんめいに王女の顔を見すえていました。・・・ 鈴木三重吉 「ぶくぶく長々火の目小僧」
・・・ 秋になると、蜻蛉も、ひ弱く、肉体は死んで、精神だけがふらふら飛んでいる様子を指して言っている言葉らしい。蜻蛉のからだが、秋の日ざしに、透きとおって見える。 秋ハ夏ノ焼ケ残リサ。と書いてある。焦土である。 夏ハ、シャンデリヤ。秋・・・ 太宰治 「ア、秋」
・・・その最後の木守りの犬歯がとうとうひとりでふらふらと抜け出したときはさすがにさびしかった。その抜けた跡だけ穴のあいた入れ歯をはめたままで今日に至っている。 父はきげんのよくない時総入れ歯を舌ではずしてくちびるの間に突き出したり引っ込ませた・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫