・・・港の入口の暗礁へ一隻の駆逐艦が打つかって沈んでしまったのだ。鉄工所の人は小さなランチヘ波の凌ぎに長い竹竿を用意して荒天のなかを救助に向かった。しかし現場へ行って見ても小さなランチは波に揉まれるばかりで結局かえって邪魔をしに行ったようなことに・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・ある夕、雨降り風起ちて磯打つ波音もやや荒きに、独りを好みて言葉すくなき教師もさすがにもの淋しく、二階なる一室を下りて主人夫婦が足投げだして涼みいし縁先に来たりぬ。夫婦は燈つけんともせず薄暗き中に団扇もて蚊やりつつ語れり、教師を見て、珍らしや・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・姦淫したる女を石にて打つにたうる無垢の人ありや? イエスがこの問いを提出するまで誰も自分の良心に対してかく問い得なかった。財の私的所有ならびに商業は倫理的に正しきものなりや? マルクスが問うてみせるまで、常人はそれほどにも自分らの禍福の根因・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・それが吾々を打つ。 メリメは、水のように冷たい。そして、カッチリ纒りすぎる位いまとまっている。常に原始的な切ったり、はったり、殺し合いをやったりする、ロマンティックなことばかりを書いている。どんなことでも、かまわずにさっさと書いて行く、・・・ 黒島伝治 「愛読した本と作家から」
・・・ 事務室から出ることを許されて、兵舎へ行くと、同年兵達は、口々にぶつ/\こぼしていた。「栗島。お前本当に偽札をこしらえたんか?」 松本がきいた。「冗談を云っちゃ困るよ。」彼は笑った。「憲兵がこしらえたらしいと云いよったぞ・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・平生、まずいものを食いなれている百姓が、顔を見合すと、飯のまずいことをぶつ/\云う日が多くなった。 かつてのかゝりつけの安斎医学博士の栄養説によると、台湾に住んでいてわざ/\内地米を取りよせて食っていた者があったそうだが、内地米が如何に・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・かげでぶつ/\云っていず、自分からさきに出て、喋くりもし、みえを切ったり、華々しく腕を振りまわしたりやってみればいゝのだ。誰もさまたげやしない。ところが、彼自身でやる段になると、そういうことは皆目よくしない。そんなコツをさえもよう会得しない・・・ 黒島伝治 「自画像」
・・・宇一は、勝手にぶつ/\こぼした。「こんなことをしちゃ却って、皆がひまをつぶして損だ。じっとおとなしくしとりゃえゝんだ。」 彼は儲けた金を家へすぐ送る必要がなかったので、醤油屋へそのまゝ、利子を取って貸したりしていた。悪くするとそれをかえ・・・ 黒島伝治 「豚群」
・・・石はカチンと松の幹にぶつかって、反射してほかへはねとんだ。泥棒をする、そのことが、本当に、彼には、腹が立つものゝようだった。 番人が、番人小屋の方へ行ってしまうと、僕等は、どこからか、一人ずつヒョッコリと現われて来た。鹿太郎や、丑松や、・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・今までえらそうにぶつ/\云っていた奴が、ワン/\吠えることだけしか出来ねえんだ。へへ、役員の野郎、犬になりやがって、ざま見やがれ!――あいつら、もと/\犬だからね。」「ふむゝ。」 彼等は、珍しがった。作り話と知りつゝ引きつけられた。・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
出典:青空文庫