・・・「へえ。そんなに好い女だったかい。」「左様でございます。気だてと云い、顔と云い、手前の欲目では、まずどこへ出しても、恥しくないと思いましたがな。」「惜しい事に、昔さね。」 青侍は、色のさめた藍の水干の袖口を、ちょいとひっぱり・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・「へえ、妙な縁だね。だがそいつはこの新聞で見ると、無頼漢だと書いてあるではないか。そんなやつは一層その時に死んでしまった方が、どのくらい世間でも助かったか知れないだろう。」「それがあの頃は、極正直な、人の好い人間で、捕虜の中にも、あ・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・「へえ、乞食かね」「乞食さ。毎日、波止場をうろついているらしい。己はここへよく来るから、知っている」 それから、彼は、日本人のフロックコオトに対する尊敬の愚なるゆえんを、長々と弁じたてた。僕のセンティメンタリズムは、ここでもまた・・・ 芥川竜之介 「出帆」
・・・「そう、いつごろのこと?」「そうですね、もう四五年前のことでしょう、お上さんがまだ島田なんぞ結ってなすったころで」「へえい、じゃ私のこともそのころ知ってて?」「ええ、お上さんのことはそんなによく知りませんが、でも寄席へなぞ金・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・「あ、ちょっと……。宿はどこですか。どの道を行くんですか。ここ真っ直ぐ行けばいいんですか。宿はすぐ分りますか」「へえ、へえ、すぐわかりますでやんす。真っ直ぐお出でになって、橋を渡って下されやんしたら、灯が見えますでござりやんす」・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・「家でも買う金が足りないのか」「からかっちゃ困るよ。闇屋に二千円借りたんだが、その金がないんだ」「二千円ぐらいの金がない君でもなかろう。世間じゃ君が十万円ためたと言ってるぜ」「へえ? 本当か?」 びっくりしていた。「・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・「――ところで、お前の方は、いまどうしているんだい?」 と、きくと、「――薬屋をしているんです」「――へえ?」 驚いた顔へぐっと寄って来て、「――それもあんた、自家製の特効薬でしてね。わたしが調整してるんですよ」・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・「へい。」杜氏は重ねてお辞儀をした。「今月分はまるで貸しとったかも知れません。」 主人の顔は、少時、むずかしくなった。「今日限り、あいつにゃひまをやって呉れい!」「へえ、……としますと……貸越しになっとる分はどう致しましょう・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・「うへえ!」 棚のローソクの灯の下で袋の口を切っていた一人は、突然トンキョウに叫んだ。「何だ? 何だ?」一時に、皆の注意はその方に集中した。「待て、待て! 何だろう?」 彼は、ローソクの傍に素早く紙片を拡げて、ひっく・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・「なんぼぞな?」「一本、十銭よな。その短い分なら八銭にしといてあげまさ。」「八銭に……」「へえ。」「そんなら、この短いんでよろしいワ。」 そして母は、十銭渡して二銭銅貨を一ツ釣銭に貰った。なんだか二銭儲けたような気が・・・ 黒島伝治 「二銭銅貨」
出典:青空文庫