・・・(家来ランプを点して持ち来り、置いて帰り行ええ、またこの燈火が照すと、己の部屋のがらくた道具が見える。これが己の求める物に達する真直な道を見る事の出来ない時、厭な間道を探し損なった記念品だ。この十字架に掛けられていなさる耶蘇殿は定めて身に覚・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・どこの海浜にでも、そこが少し有名な場所なら必ずつきものの、船頭の古手が別荘番の傍部屋貸をする、その一つであった。 従妹のふき子がその年は身体を損ね、冬じゅう鎌倉住居であった。二月の或る日、陽子は弟と見舞旁遊びに行った。停車場を出たばかり・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ 小川に分かれて、木村は自分の部屋の前へ行って、帽子掛に帽子を掛けて、傘を立てて置いた。まだ帽子は二つ三つしか掛かっていなかった。 戸は開け放して、竹簾が垂れてある。お為着せの白服を着た給仕の側を通って、自分の机の処へ行く。先きへ出・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・娘は部屋に帰って母に話した。「おっ母さん。あのぼろぼろになった着物を着た男がまいりましたの。厭な顔をしてわたしを見ましたから、戸を締めようと思いましたの。目が変に光っていて、その目で泣くかと思うと、口では笑っているのですもの。わたしが戸を締・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・訝りながら床をはなれて忍藻の母は身繕いし、手早く口を漱いて顔をあらい、黄楊の小櫛でしばらく髪をくしけずり、それから部屋の隅にかかッている竹筒の中から生蝋を取り出して火に焙り、しきりにそれを髪の毛に塗りながら。「忍藻いざ早う来よ。蝋鎔けた・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・灸の母は婦人と女の子とを連れて二階の五号の部屋へ案内した。灸は女の子を見ながらその後からついて上ろうとした。「またッ、お前はあちらへ行っていらっしゃい。」と母は叱った。 灸は指を食わえて階段の下に立っていた。田舎宿の勝手元はこの二人・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・己の部屋の窓を叩いたものがある。「誰か」と云って、その這入った男を見て、己は目を大きくみはった。 背の高い、立派な男である。この土地で奴僕の締める浅葱の前掛を締めている。男は響の好い、節奏のはっきりしたデネマルク語で、もし靴が一足間・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・目を開いてはこの気味の悪い部屋中を見廻す。どこからか差す明りが、丁度波の上を鴎が走るように、床の上に影を落す。 突然さっき自分の這入って来た戸がぎいと鳴ったので、フィンクは溜息を衝いた。外の廊下の鈍い、薄赤い明りで見れば、影のように二三・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫