・・・「それは誰でも外国人はいつか一度は幻滅するね。ヘルンでも晩年はそうだったんだろう。」「いや、僕は幻滅したんじゃない。illusion を持たないものに disillusion のあるはずはないからね。」「そんなことは空論じゃない・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・「日は暮れるし、腹は減るし、その上もうどこへ行っても、泊めてくれる所はなさそうだし――こんな思いをして生きている位なら、一そ川へでも身を投げて、死んでしまった方がましかも知れない」 杜子春はひとりさっきから、こんな取りとめもないこと・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・自分たち五六人は、機械体操場の砂だまりに集まって、ヘルの制服の背を暖い冬の日向に曝しながら、遠からず来るべき学年試験の噂などを、口まめにしゃべり交していた。すると今まで生徒と一しょに鉄棒へぶら下っていた、体量十八貫と云う丹波先生が、「一二、・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・ただ彼の知っているのは月々の給金を貰う時に、この人の手を経ると云うことだけだった。もう一人は全然知らなかった。二人は麦酒の代りをする度に、「こら」とか「おい」とか云う言葉を使った。女中はそれでも厭な顔をせずに、両手にコップを持ちながら、まめ・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・ところがその後になって聞いてみると、その小説が載ってから完結になる迄に前後十九通、「あれでは困る、新聞が減る、どうか引き下げてくれ」という交渉が来たということである。これは巌谷さんの所へ言って来たのであるが、先生は、泉も始めて書くのにそれで・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・とを心すともなく直視めながら、一歩進み二歩行く内、にわかに颯と暗くなって、風が身に染むので心着けば、樹蔭なる崖の腹から二頭の竜の、二条の氷柱を吐く末が百筋に乱れて、どッと池へ灌ぐのは、熊野の野社の千歳経る杉の林を頂いた、十二社の滝の下路であ・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・むかしのもの語にも、年月の経る間には、おなじ背戸に、孫も彦も群るはずだし、第一椋鳥と塒を賭けて戦う時の、雀の軍勢を思いたい。よしそれは別として、長年の間には、もう些と家族が栄えようと思うのに、十年一日と言うが、実際、――その土手三番町を、や・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ 一事件を経る度に二人が胸中に湧いた恋の卵は層を増してくる。機に触れて交換する双方の意志は、直に互いの胸中にある例の卵に至大な養分を給与する。今日の日暮はたしかにその機であった。ぞっと身振いをするほど、著しき徴候を現したのである。しかし・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・一念深く省作を思うの情は増すことはあるとも減ることはない。話し合いで別れて、得心して妻を持たせながら、なおその男を思っているのは理屈に合わない。いくら理屈に合わなくとも、そういかないのが人間のあたりまえである。おとよ自身も、もう思うまいもう・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・しかしてこれを取り来りてノルウェー産の樅のあいだに植えましたときに、奇なるかな、両種の樅は相いならんで生長し、年を経るも枯れなかったのであります。ここにおいて大問題は釈けました。ユトランドの荒野に始めて緑の野を見ることができました。緑は希望・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
出典:青空文庫