・・・そして弟子は減る一方で、塾はさびれ、彼の暮しは一層みじめなものになった。 そこで彼は、土地の軍楽隊に籍を置いたり、けちな管弦楽団の臨時雇の指揮をしたりして、口を糊しながら、娘の寿子を殆ど唯一人の弟子にして「津路式教授法」のせめてものはけ・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・最初、彼は、堪えられなかったものだが、日を経るうちに、馴れてきて、さほどに感じなくなった。それに従って、彼の身体には、知らず知らず醤油の臭いがしみこんできているのだった。「あ、臭い! われが戻ると醤油臭い。」 たまに、家へ帰ると祖母・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
・・・利休の指点したものは、それが塊然たる一陶器であっても一度その指点を経るや金玉ただならざる物となったのである。勿論利休を幇けて当時の趣味の世界を進歩させた諸星の働きもあったには相違ないが、一代の宗匠として利休は恐ろしき威力を有して、諸星を引率・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・冬になつて仕事が減る。そこへもつてきて、こやつらは、そうでなくても少ない分前を、更に横取りしようとする。この「友喰い」は労働者を雇わなければならない「資本家」を喜ばせる。――北海道の冬は暗いのだ。・・・ 小林多喜二 「北海道の「俊寛」」
・・・いったいあの動物は、からだが扁平で、そうして年を経ると共に、頭が異様に大きくなります。そうして口が大きくなって、いまの若い人たちなどがグロテスクとか何とかいって敬遠したがる種類の風貌を呈してまいりますので、昔の人がこれを、ただものでないとし・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・手紙で返事を寄こして、僕、寡聞にして、ヘルベルト・オイレンベルグを知りませず、恥じている。マイヤーの大字典にも出て居りませぬし、有名な作家ではないようだ。文学字典から次の事を知りました、と親切に、その人の著作年表をくわしく書いて送って下さっ・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・人の話に依りますと「ヘルマンとドロテア」も「野鴨」も「あらし」も、みんなその作者の晩年に書かれたものだそうでございます。ひとに憩いを与え、光明を投げてやるような作品を書くのに、才能だけではいけないようです。もしも、あなたがこれから十年二十年・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・年月を経るにしたがい、つるに就いての記憶も薄れて、私が高等学校にはいったとし、夏休みに帰郷して、つるが死んだことを家のひとたちから聞かされたけれど、別段、泣きもしなかった。つるの亭主は、甲州の甲斐絹問屋の番頭で、いちど妻に死なれ、子供もなか・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・従って、伊吹山は、この区域の東の境の内側にはいっているが、それから東へ行くと降雨日数がずっと減る事になるわけである。 何ゆえにこのような区域に、特に降水が多いかという理由について、筒井氏の説を引用すると、冬季日本海沿岸に多量の降雨をもた・・・ 寺田寅彦 「伊吹山の句について」
・・・ すべての歌人の取材の範囲やそれに対する観照の態度は、誰でも年を追って自然の変遷を経るもののように見える。しかしそういうものがどんなに変っても、同じ作者の「顔」は存外変らぬもののように思われる。歌を専門的に研究している人達の分析的な細か・・・ 寺田寅彦 「宇都野さんの歌」
出典:青空文庫