・・・と、気味悪そうに返事をすると、匆々行きそうにするのです。「まあ、待ってくれ。そうしてその婆さんは、何を商売にしているんだ?」「占い者です。が、この近所の噂じゃ、何でも魔法さえ使うそうです。まあ、命が大事だったら、あの婆さんの所なぞへ・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・――そう思うと、今まではただ、さびしいだけだったのが、急に、怖いのも手伝って、何だか片時もこうしては、いられないような気になりました。何さま、悪く放免の手にでもかかろうものなら、どんな目に遭うかも知れませぬ。「そこで、逃げ場をさがす気で・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・Dr. Werner は、ディレニウス夫人と云う女が、六歳になる自分の息子と夫の妹と三人で、黒い着物を着た第二の彼女自身を見た時に、何も変事の起らなかった事を記録しています。これはまた、そう云う現象が、第三者の眼にも映じると云う、実例になり・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・ 今度は彼れの返事も待たずに長顔の男の方を向いて、「帳場さんにも川森から話いたはずじゃがの。主がの血筋を岩田が跡に入れてもらいたいいうてな」 また彼れの方を向いて、「そうじゃろがの」 それに違いなかった。しかし彼れはその・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・不機嫌な返事をして、神経の興奮を隠そうとしている。さて黒の上衣を着る。髯を綺麗に剃った顋の所の人と違っている顔が殊更に引き立って見える。食堂へ出て来る。 奥さんは遠慮らしく夫の顔を一寸見て、すぐに横を向いて、珈琲の支度が忙しいというよう・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・馬鹿は卑しい、卑褻な詞で返事をした。 レリヤは、「此処は厭な処だから、もう帰りましょうね」と犬に向かっていって、後ろも見ずに引き返した。 レリヤは皆と別荘を離れて停車場にいって、初めてクサカに暇乞をしなかったことを思い出した。 ・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・ と女中は思入たっぷりの取次を、ちっとも先方気が着かずで、つい通りの返事をされたもどかしさに、声で威して甲走る。 吃驚して、ひょいと顔を上げると、横合から硝子窓へ照々と当る日が、片頬へかっと射したので、ぱちぱちと瞬いた。「そんな・・・ 泉鏡花 「縁結び」
・・・ と幾度も一人で合点み、「ええ、織さん、いや、どうも、あの江戸絵ですがな、近所合壁、親類中の評判で、平吉が許へ行ったら、大黒柱より江戸絵を見い、という騒ぎで、来るほどに、集るほどに、丁と片時も落着いていた験はがあせん。」 と蔵の・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・何しろ煩っておりますので、片時でもほッという呼吸をつかせてやりたく存じますが、こうでございます、旦那様お見かけ申して拝みまする。」と言も切に声も迫って、両眼に浮べた涙とともに真は面にあふれたのである。 行懸り、言の端、察するに頼母しき紳・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・省作はちょっと息つまって返辞ができないうちに、声かすかに、「お湯がぬるくありませんか」「ええ」「少し燃しましょう」 おとよさんは風呂の前へしゃがんで火を起こす。火がぱっと燃えると、おとよさんの結い立ての銀杏返しが、てらてらす・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
出典:青空文庫