・・・兼ねて求馬と取換した起請文の面を反故にするのが、いかにも彼にはつらく思われた。のみならず朋輩たちに、後指をさされはしないかと云う、懸念も満更ないではなかった。が、それにも増して堪え難かったのは、念友の求馬を唯一人甚太夫に託すと云う事であった・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・――そう思って、平気で、宗演老師の秉炬法語を聞いていた。だから、松浦君の泣き声を聞いた時も、始めは誰かが笑っているのではないかと疑ったくらいである。 ところが、式がだんだん進んで、小宮さんが伸六さんといっしょに、弔辞を持って、柩の前へ行・・・ 芥川竜之介 「葬儀記」
・・・その上に琉球唐紙のような下等の紙を用い、興に乗ずれば塵紙にでも浅草紙にでも反古の裏にでも竹の皮にでも折の蓋にでも何にでも描いた。泥絵具は絹や鳥の子にはかえって調和しないで、悪紙粗材の方がかえって泥絵具の妙味を発揮した。 この泥画について・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・そうすると翌朝彼の起きない前に下女がやってきて、家の主人が起きる前にストーブに火をたきつけようと思って、ご承知のとおり西洋では紙をコッパの代りに用いてクベますから、何か好い反古はないかと思って調べたところが机の前に書いたものがだいぶひろがっ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・どっちにしても、旧紙幣だから、反古同然だ」「どうしてまたこんな所へ入れて忘れたんだ」「前の細君が生きてた頃に入れたのだから、忘れる筈だよ、実はあの頃、まだ競馬があったろう」「うん、ズボラ者の君が競馬だけは感心に通ったね」「そ・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・就いては今日私の机の抽斗に百円入れて置きましたそれが、貴女のお帰りになると同時に紛失したので御座いますが、如何がでしょう、もしか反古と間違ってお袂へでもお入になりませんでしたろうか、一応お聞申します」と腹から出た声を使って、グッと急所へ一本・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・私は反古にして無くして仕舞いましたが、先達て此事を話し出した節聞いたらば、麗水君は今も当時写したのを持って居るという事でした。 わたくしは前にも申した通り学生生活の時代が極短くて、漢学の私塾にすらそう長くは通いませんでした。即ち輪講をし・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・しかし、その私が北村君と短い知合になった間は、私に取っては何か一生忘れられないものでもあり、同君の死んだ後でも、書いた反古だの、日記だの、種々書き残したものを見る機会もあって、長い年月の間私は北村君というものをスタディして居た形である。『春・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・私はこの落書めいた一ひらの文反故により、かれの、死ぬるきわまで一定職に就こう、就こうと五体に汗してあせっていたという動かせぬ、儼たる証拠に触れてしまったからである。二、三の評論家に嘘の神様、道化の達人と、あるいはまともの尊敬を以て、あるいは・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・くまず二度とは見られる気づかいのないような映画を批評するのなら、何を言っておいてもあとに証拠が残らないからいいが、金銅の大仏などについてうっかりでたらめな批評でも書いておいて、そうして運悪くこの批評が反古にならずに百年の後になって、もしや物・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
出典:青空文庫