・・・ かくの如くして多年の成跡を見るに、幾百の生徒中、時にあるいは不行状の者なきに非ずといえども、他の公私諸学校の生徒に比して、我が慶応義塾の生徒は徳義の薄き者に非ず、否なその品行の方正謹直にして、世事に政談にもっとも着実の名を博し、塾中、・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・父母の品行方正にして其思想高尚なれば自から家風の美を成し、子女の徳義は教えずとても自然に美なる可し。左れば父母たる者の身を慎しみ家を治むるは独り自分の利益のみに非ず、子孫の為めに遁る可らざる義務なりと知る可し。一 家の美風その箇条は様々・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・上野の山に砲声をききながら、福沢諭吉は塾の講堂を閉さずに、経済学の講義をしつづけた。このことには、学生をいかに見るかということについての信念があらわれていると思う。そういう存在として見られ育てられた学生たちは、家庭にあってやはり一種の若き世・・・ 宮本百合子 「家庭と学生」
法制会が、婦人参政権の問題を否決したのは、さまで意外なことではありません。何にしろ日本は、やっと普通選挙が実現されるかされないかと云う、社会進化の途上にあります。 英国でさえ、殆ど百年に近い時日を費したこの問題が、そう・・・ 宮本百合子 「参政取のけは当然」
・・・ゴロゴロ そこの妻君の兄のところへうつる、 そこはい難いので夜だけ富士製紙のパルプをトラックにつんで運搬した、人足 そしたら内になり 足の拇指をつぶし紹介されて愛婦の封筒書きに入り居すわり六年法政を出る、「あすこへ入らなかったら本当・・・ 宮本百合子 「SISIDO」
・・・ 私の心持では Aが、種々な女の美しさなどにほっこりしない品行方正さ、実は感受性の鈍さが――あるのを知って居る故 Aが、そういう純潔さに自繋せられて居るという知識、私自身のうぬぼれ等、すべてがコムバインして一つの信用と云うものに・・・ 宮本百合子 「一九二三年冬」
・・・この民法改正要綱は昭和二年政府が臨時法制審議会を設けて、我々に日常関係ある民法のうち、親族、相続法の改正案を審議した。 私たちは、日ごろ結婚というものを主として対手の有無によって話しているが、日本の親族法は、男満三十年、女満二十五年に達・・・ 宮本百合子 「若い婦人のための書棚」
出典:青空文庫