・・・酒を飲むと、少し空想も豊富になって、うれしいのです。酒がこんなに有難いものだとは思わなかった。酒は不潔な堕落のような気がして、このとしになるまで盃をふくんだ事がなかったのですが、国内に酒が少し不足になりかけた頃に、あわてて酒の稽古をするとは・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・多くの作家が、身のほど知らずの抱負を、無邪気に語っているのを聞いていると、私はその人たちを、うらやましく思い、生きていることが、矢鱈に、つらく思われて来るのです。わかりますか? けれども私は、そんな作家たちを、決して拒否できないのです。・・・ 太宰治 「正直ノオト」
・・・どんな偉大な作家の傑作でも――むしろそういう人の作ほど豊富な文献上の材料が混入しているのは当然な事であった。それを詮索するのは興味もあり有益な事でもあるが、それは作と作家の価値を否定する材料にはならなかった。要は資料がどれだけよくこなされて・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・それから、こういうロシア映画でいつもおもしろいと思うのは出場人物のタイプの豊富さであるが、これは他の欧州諸国では得られない天然の制約によるものであろう。 この監督の新しい理論に基づいて構成されたと称するこの映画は、たしかにおもしろいとこ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 大正の時代は今日よりして当時を回顧すれば、日本の生活の最豊富な時であった。一時の盛大はやがて風雲の気を醸し、遂に今日の衰亡を招ぐに終った。われわれが再びバナナやパインアップルを貪り食うことのできるのはいつの日であろう。この次の時代をつ・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 浄瑠璃と草双紙とに最初の文学的熱情を誘い出されたわれわれには、曲輪外のさびしい町と田圃の景色とが、いかに豊富なる魅力を示したであろう。 その頃、見返柳の立っていた大門外の堤に佇立んで、東の方を見渡すと、地方今戸町の低い人家の屋根を・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・これより朝日新聞社員として、筆を執って読者に見えんとする余が入社の辞に次いで、余の文芸に関する所信の大要を述べて、余の立脚地と抱負とを明かにするは、社員たる余の天下公衆に対する義務だろうと信ずる。 私はまだ演説ということをあまり・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・こういう両面を持っているのではありますけれども、先ず今日までの改正とか改革とか刷新とか名のつくものは、そういうような意味で、知識なり感情なり経験なりを豊富にされる土台は、インデペンデントな人が出て来なければ出来ない事である。もしそれが出来な・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・書架は豊富である。Bibelots と云う名の附いている小さい装飾品に、硝子鐘が被せてある。物を書く卓の上には、貴重な文房具が置いてある。主人ピエエルが現代に始めて出来た精神的貴族社会の一員であると云うことは、この周囲を見て察せられる。ある・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・曙覧の歌想豊富なるは単調なる『万葉』の及ぶところにあらず。〔『日本』明治三十二年四月九日〕 世に『万葉』を模せんとする者あり、『万葉』に用いし語の外は新らしき語を用いず、『万葉』にありふれたる趣のほかは新しき趣を求めず、かくのごとく・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
出典:青空文庫